●幼年期のはじまり●


【南校舎１Ｆ・廊下】

『一刻も早く犯人を捕まえて、このろっこんの暴走を止めやがれ。
　でないと、てめえらのオツムもそのうち……』

　幼児化した生徒たちに届けられた、テオの最後の言葉。
「うぇ〜ん、やだやだもう、お家に帰りゅ〜」
「まま、ぱぱ……どこ……ピギャーーーー！」
　とはいえ、その声は『ひと』には聞こえないし、『もれいび』たちとてその大半は、今や知性まで幼児退行している状態。テオに何を言われたのかも分からず、ただおびえてパニックになってしまう子供が、ほとんどのようだった。
「……し、しらないこがいっぱいでありますよー……っ！　ないてるこもいるであります！」
　例えば、小倉 杏子もそのうちの１人だ。１年６組の学級委員である彼女も今では、大きなクマのぬいぐるみを抱えた、愛らしい４歳児の姿に早変わり。
「おにーちゃん、おとーさん……どこでありますかー！
　隊長殿ー！　こ、これがそうなん（遭難）でありますか……っ！」
　幼児たちの集団にあっぷあっぷと廊下を押し流されながら、こちらもベソ泣き寸前のチビ杏子。ちなみに隊長殿というのは、彼女のお母さんのことみたい。
　また、その廊下の隅にうずくまり、ぐすぐすと泣いている女の子は、１年４組の風宮 悠だ。
「うぅ……（頭が）痛いの……です……ぐずっ……
　誰かぁ……うぅ……ぐずっ……」
　彼女のろっこん【ヒズミノイタミ】は、第三者のろっこんの発動を、頭痛として感知するというもの。この大規模な幼児化現象の影響を、もろに受けてしまっているのである。
　さいわい、今回の幼児化に伴うろっこんの弱体化で、その頭痛も小さな痛みに下がってはいるものの、それでも幼児を泣かせるには十分なレベルだ。
「むぎゅ……にーたんどこにいりゅの？　どうちてどこにもいにゃいの？」
　さらに鬼柳・S・蔵人が、ここにいない兄の姿を探して、辺りをヨチヨチとさまよい、
「＃＄％＆＠＃＄％＆＠？？」
　海外出身のヴァレンティン・Vなどは、日本語が分からない幼児時代に逆戻り。おろおろしながら、「これはどうなっているのですか？」と周りの子供に訊いてみるのだが、異国の言葉で話しかけられた子供の方が、おびえて泣きだしてしまう有様だ。
　また、突然の幼児化現象に立ちすくんでしまい、あちこちでギャー泣きしているのは、追分 義一、獅子尾 優華、湯浅 月子、朱鷺峰 揺炎、猫島 寝太郎などの生徒たちも同様だった。
「いきなり幼児化したと思ったらこれもろっこん……もれいびの仕業か！　許さねぇ！」
　一方こちらでそう口汚く、もれいびと野々ののこを罵っているのは、もと３年生の吉祥寺 黒子である。
「てめぇ達はどんだけ俺達『ひと』を苦しめれば気が済むんだ！
　ぶちのめしてやる！　覚悟しやがれ！」
　この黒子は、自分の両親の死をもれいびの仕業だと信じ、ののことろっこんを日頃から憎悪しているのだ。
　けれどそんな彼女も、今の見た目は、健康的に日焼けした元気っ子の５歳児。色素の抜けきっていた白髪もさらさらの黒髪ロングヘアに戻り、もちろんピアスや刺青の痕もきれいに消え失せている。
「って、ガキどもがうるせぇ！　おい、お前等！　静かにしやがれ！」
「ふぐ……えう……びえーーーーん！」
　思わず怒鳴りつけた子供たちが、よけいに泣きだしてしまい、アワワと慌てる黒子お姉ちゃん。
「……ッ、いきなり怒鳴って俺が悪かったよ……許してくれ、な？」
　意外な面倒見の良さで必死にあやそうとする黒子だったが、子供たちはますます泣きわめくばかり。
　一方、はぐれた隊長殿はまだ見つからず、その泣き声につられて、こちらも泣きそうになる小倉杏子だったが、
「あうあう、で、でもなかないでありますっ！
　ここでないたら名折れ！　でありますよっ！」
　とベソをこらえて、ずり落ちそうになるブカブカの軍帽の鍔を持ち上げた。
「そ、そだ！　めがほんでよびかければおとーさんたちも……！（すぅ）」
　杏子は首から下げていたちっちゃな簡易メガホンを口に当てると、

「きさまらなくなー！！！（大声）」

　ギャー泣きしていた周囲の子供たちが、あっけにとられてぴたりと泣きやんだ。
「まったくなんというていたらくだ！　そろいもそろってなさけのない、
　きさまらはいったいどこのあなでそだったんだ！　いってみろ！
　こんなばしょでないているひまがあるのならばみずからこうどうをおこせこのなっつ（Nuts）ども！」
　機関銃のようにまくし立てる杏子の鬼軍曹モードに、ただただびっくりする幼児たち。さらに、杏子のろっこん【玩具の兵隊】が発動し、抱えていたクマのぬいぐるみまでもぞもぞと動き出した。
「さぁきさまら！　まずはじょうきょうはあくだ！　いくぞ！」
　小さななっつどもにそう呼びかけ、先頭に立って廊下を歩き出すチビ杏子。その後ろにさらにクマのぬいぐるみがエッチラと続き、そのユーモラスな行進に、わあ……と目を輝かせる幼児たち。ろっこんの弱体化により、杏子のぬいぐるみはまるで制御できていないのだけれど、そのたどたどしい動きがかえって、子供たちの興味をいっぺんに惹き付けたようだ。
「くまちゃん、まってまって、ぼくもいくでち！」
「じょーきょーはっく！　じょーきょーはっく！」
　言葉が分からないヴァレンティンや、泣いていた悠も頭痛を忘れて行進だ！　チビ鬼柳や追分、優華に月子や揺炎、猫島などもその後ろにキャッキャと付いて行き、黒子お姉ちゃんと手をつないで、仲良くみんなで歌い出す。
「さぁきりきりあるけ、このばたーろーるども！
　ばかもの！　へんじはさー、いえっさーだ！」


【北校舎２Ｆ・会議室前】

　さて一方では、４歳児の姿になっても、まだかろうじて高校生の理性を保っている者もいる。
　会議室に先生を呼びに来て、この騒ぎに巻き込まれた、鷺守 昴もそのうちの１人だ。
「なんで、いきなりこんな姿に……とりあえず、今わかっていることについて整理をしよう。
　会議室からあの幼児たちが現れるまでは、僕たちは普通の高校生の姿だった。
　多くの人に同じ現象が起きているということは、ろっこんが関係しているのではないだろうか。
　もしかして、あの幼児たちの中に、きっかけとなった人がいたのではないか？」
　そう考えて、会議室にいたメンバーを捜しに、あわただしく校舎の外に向かう鷺守昴。


「なりゅほど、会議ちつにいたちぇんちぇい（先生）があやちいんだな？」
　入れ違いにそこにやって来たのは、１年４組の学級委員、東中居 陽二だ。
「会議中にいきなち、ろっこんが発動ちたんなりゃ、
　なにか発動のキッカケが会議ちつにのこってりゅかもだな」
　手がかりになる物を探そうと、うんちょと会議室をのぞき込むと、そこで野々 ののこにべったり鼻水を付けられ、火が付いたように八神 修がギャー泣きしていた。
「やー！　のーの、ばっちいでち！　ぬるぬる、やめるでちー」
　不潔なものは子供の頃から苦手だったようだ。そして八神修、いきなりもう完全な幼児である。
「うわ八神……こ、こりぇは、まずいにゃ！」
　あわててチビ東中居がオーバーオールのポケットを探ると、運良くそこにミニカーを発見。これを幼児に特有なこだわりの配置で床に３個ならべて、
「おれのさんくちゅあり【俺の聖域】はちゅどう！
　ろっこんの効果をはばむ、けっかい（結界）を張るじぇ！」
　ぽわわわーんっとトライアングルに床が発光して、
「あっ、ぶーぶでちねー」
　つられてあっさり、チビ八神も結界内に入ってきた。ナイスミニカー。
「よし、これで俺も八神も、元の高校生の身体に……
　……あれ？　もどらないな？」
　東中居のろっこんも弱体化している現在の状況下では、そこまで劇的な効果は望めなかったが、
「はっ。俺としたことがいったい、何をやってたんだ。うわ、何だこの鼻水はっ」
　だが、【俺の聖域】に保護されたことで、八神修が高校生としての理性を取り戻した！
「大丈夫か八神。よし……俺の結界に入れば、
　とりあえずは、精神の幼児退行ぐらいは防げるみたいだな」
「すまない、助かった。危うくチャーリイ・ゴードンのように、燃え尽きるところだった……。
　どうやら俺の予想よりも、この幼児化現象の進行は早かったようだ」
　いち早く事件の発端に居合わせたこの八神は、黒板や残ったメモなどから、会議の内容を調べようとしていたのだったが。けれどもその途中で、あっさり知性に見放されてしまったらしい。
「何という失態だ。俺は最後まで知性を手放さない、
　手放す時は意識を失う時だ、そう思っていたんだが……！」
　痛恨の八神。頭脳派を自称する彼にとって、理性を失うことはもっとも恐ろしい事態のようだ。
　その八神を結界内に保護しながら、東中居が続いて周囲にも呼びかける。
「おい、まだ高校生の意識があるやつ！
　俺の結界に入れば、とりあえずは正気を保てるぞ！」
　その呼びかけに応えて、廊下で子供化していた沙花島 ミハエルもやって来た。【俺の聖域】の中に入って、ほっと一息をつき、
「まるで高校が、幼稚園になってしまったようですね……
　こんな事態ですから、極力協力しましょうか」
　いつもの口調とはちょっと違って、神妙にていねいな敬語で話す沙花島。
「もっとも、僕のろっこんも弱体化してしまったらしく、
　幼児をよろけさせる程度の威力しかないと思われますが……」


　さて、「まずは情報を共有して動きを決めよう」と言う東中居の提案を受け、結界内であわただしく情報を交換するチビっ子３人。とりわけ、会議室から出て行った先生たちの姿を、直接目撃していた八神の情報は、貴重な収穫だった。
「そうだ、正気を取り戻した今のうちに……
　俺たち同様、高校生の知性を保っている者が、まだこの校内にもいるはずだからな。
　少しでもそいつらの、現状把握の役に立つのなら……」
　携帯を取り出し、ねこったーに以下の情報を続けて、投稿し始める八神。

　・子供化現象の前後で八神が見聞きした事
　・テオの話
　・１１人の先生の現在の容姿
　・１０人の先生が去った方向
　・会議の内容

「そういえば、会議の内容って、何だったんだ？」
　それは、今回の事件の手掛かりが会議室にあると考えた東中居にも、気になる点だった。
　しかし八神の短時間の調査によれば、（長引いたとはいえ）会議そのものは、中間テストについてのごくありふれたミーティングのようだった。
「この事件に限っては『事件は現場で起きてるんじゃない。会議室で起こったんだ』からな。
　会議内容も重要な情報だと思ったんだが……」
　その内容自体が、誰かのろっこんの暴走を引き起こしたとは、現時点ではちょっと考えにくいようだ。
「だが、それでも俺は、何らかの手掛かりがまだ、この会議室に残されてると思う」
　八神の推測に、東中居陽二も同感だと頷いた。引き続きこの部屋を調べると言う八神に、
「なら俺もいっしょに、その調査を手伝おう。
　知性が危うくなったら、また【俺の聖域】の結界内に戻ればいい」
「それは助かる。もう２度と、あんな情けない状態は願い下げだからな……って、ん？　何だあれは」
「よそみをするな、このぐずでのろまなばたーろーるども！」
　はしゃぐ子供たちとぬいぐるみを引き連れて、そこに小倉 杏子がやって来た。
「なんどいえばわかる！　くちをひらいたあとととじるまえにはかならず、さーをつけんか！」
「「さー、いえっちゃー！」」
「ちゃーじゃない、さー、いえっさーだ！」
「「ちゃー、いえっちゃー！」」
　廊下の向こうからやって来る幼児たちの行進を、あっけにとられて見る３人。その東中居の目の前で、彼の結界を構成していたミニカーが、ぷるぷると身震いして動き出した。
「あっ、おれのさんくちゅありのけっかいが！？」
　おもちゃを操る杏子のろっこん【玩具の兵隊】に反応し、東中居のミニカーもまーちったかちったかたーと、持ち場を離れて廊下を走り出す→【俺の聖域】の結界、あっさり消滅。
「「ちったかちゃー！」」
　結界が解けた反動で、いっぺんに幼児化した東中居と沙花島もその後にワキャーと続き、
「ワーイワーイ、ののこもクマさんと遊ぶんだじょ〜」
　飽きた仔猫テオを早々にぶん投げて、ののこもエッチラと廊下を行進だ。
「そ、そんな馬鹿な……いや、俺だけは最後まで知性を手放すものかっ。
　俺にはま、まだ……やるべきことが……ちったかちゃーー！」
　こうして八神修もまた完全に理性を放棄して、杏子と子供たちの珍行軍に加わるのであった。


　八神はまだこの後、得た情報を録音して、放送室から全校に流すつもりだったのだが、さすがにそれは自身の幼児化の進行を、甘めに見積もりすぎていたようだ。
　ただ、東中居の協力によって、八神がねこったーに流すことができた情報は、この後もタイムライン上で拡散をくり返し、彼らの意志を継ぐ者に、貴重な指針をもたらしていくことになる。