猫又川でのんびりと｜リアクション

猫又川でのんびりと

　椿美咲紀はリュックを背負って単独で九夜山の斜面を登っていた。時に足を止めて周囲の様子を窺う。空は木々に覆われてほとんど見えない。
「私に抜かりはないのですよ！」
　茶色いベストのポケットから地図を取り出した。コンパスも使って満足そうな笑みを浮かべる。
「源流は近いですね」
　美咲紀は周囲に生えている植物に注目した。種類を確認するように声に出して、ゆっくりとした歩みを心掛ける。
　どこかで枯草を踏むような音がした。獰猛な野生動物を脳裏に描いたのか。美咲紀はその場で固まってしまった。
「見つからんもんやねー」
「試練だからな！」
　呑気と元気の二人組、エリオと影太郎が繁みを掻き分けて現れた。
　美咲紀は強張った表情を和らげ、思い直したように足早に向かう。
「僕達、お父さんとお母さんは？」
「家にいるぜ！」
　影太郎は元気に答えた。美咲紀は困ったような笑みを見せた。その様子を目にしてエリオが話にやんわりと割って入る。
「迷子やあらへんよ。鞍馬天狗は山が家みたいなもんやしなー」
「俺も違うぞ！　これはヒーローには欠かせない試練なんだぜ！」
　二人の無邪気な姿を見て、そういうことですか、と美咲紀は頷いた。ベストのポケットからデジタルカメラを取り出し、少し声を潜めて言った。
「私は悪の組織の秘密基地を探しにきたのですよ」
「すげぇ、悪の組織だってよ！」
　影太郎は興奮した顔でエリオの肩を掴んで揺さぶった。眠そうな目で相棒は、すごいわー、と返した。
「組織の名前はユワイダー。私が手に入れた情報によるとですね。秘密基地の近くに温泉が湧いているらしいのです。僕達、どこかで見てないかな」
「僕らも温泉を探してるんやけど、上の方はちゃんと見てないわー。影太郎もそうやんなー」
「そうだぜ！　待ち合わせの場所で温泉が見つかったら、試練にならないからな！」
　二人から温泉の情報は聞き出せそうになかった。残念に思う気持ちを振り払い、美咲紀は笑顔を見せた。
「私は上を目指すことにするわ。僕達も気を付けて下りるのよ」
「ありがとー」
「ねーちゃんも気を付けろよ。何かあったら、俺が駆け付けてやるぜ！」
　影太郎は持っていた懐中電灯で斬る真似をした。美咲紀は微笑ましい目となり、ありがとう、と言って別れた。
　賑やかな二人の少年の声が遠ざかる。美咲紀は背中に聞きながら、頑張りますかね、と顔を上げた。