猫又川でのんびりと｜リアクション

猫又川でのんびりと

　登山道を逸れて比較的、緩やかな斜面を二人は登っていた。
　少し前をいく真瞭が不機嫌そうな顔で下草を踏み付けた。
「こんなに歩き回って、どうして温泉が見つからないのよ」
「まーちゃんの寄り道のせいだと思うよ」
　理紗子の控え目な口調に真瞭が食って掛かる。
「どうして私のせいなのよ」
「猫又川とは違う方向に走っていったよね？」
「だってイノシシがいたのよ。珍しいから普通は追い掛けるよね」
　詰め寄る真瞭に理紗子は、どうかな、とやんわり否定した。
「それはそうと、まーちゃんはどうして山を選んだの？　猫又川の下流の方が探し易かったと思うのだけれど」
「温泉なんだから山奥が定番よね！」
　要約すると勘である。理紗子は笑みを浮かべた状態で緩やかに息を吐いた。
「そんな細かいことはどうでもいいのよ。とにかく足を動かさないと始まらないわ」
「体力勝負の部分もあるけれど、もう少し慎重に」
　理紗子の話が耳に入っていないのか。真瞭は先を急ぐ。見つけた石を適当に引っくり返しては、温泉どこよ、と不満を零す。
「……私がしっかりしないといけないみたいね」
　些細な変化も見逃さない姿勢で理紗子は進んだ。湧き水には決まって鼻を近づけた。変わった色の石は手に取って調べる。
「温度や湿度の変化も重要かな」
　着ていたレインウェアの首周りを緩くした。両方の袖を捲って肌を露出させた。
　その時、前を歩いていた真瞭が喜びの声を上げた。
「りさちん、やったわ。遂に温泉を見つけたわよ」
　大きな身振りで理紗子を呼んだ。本人は微妙な笑顔で足を速めた。
「ほら、温泉よね？　絶対に温泉よ！」
「本当に温泉みたいね。湯気が見えるわ」
　歪な形の窪みに温泉が湧いていた。真瞭は嬉々として服を脱ぎ始める。理紗子は温泉の傍らにしゃがんで手を入れた。前腕の中程くらいの深さしかなかった。
「まーちゃん、とても浅いから足湯くらいにしか――」
　声を掛けた時には遅かった。真瞭は青いチューブトップの水着姿になっていた。本人はぎこちない笑みで元の姿に戻った。
　縁に並んで腰掛けて二人は温泉を足湯として利用した。
　真瞭はレインウェアの胸元を開けた。
「足だけなのに身体中が熱くなってくるわね」
「なんかゆったりした気分になるわ」
　理紗子の頭が少し揺れている。真瞭はそれとなく間を詰めてぴったりと寄り添った。
「りさちんは忙し過ぎるからね」
「本当に、忙しいのよ。それに私は、もっと頑張らないと……二人に追い付けないから……」
「りさちんのお兄さんとお姉さんのことよね」
「……そうよ……あの二人は……とても、優秀だから……」
　真瞭はにこやかな表情で顔を上げた。枝葉の向こうに青い空が見える。
「りさちんは、りさちんよ。私にとっては誰とも比べられない、とても大切な親友なのよ。そのことを忘れないでね」
　理紗子は何も言わずに真瞭の肩に頭を預けた。瞼は完全に閉じて安らかな寝息が聞こえてくる。
「折角の名言なのに、ちゃんと最後まで聞きなさいよね」
　子供にするように真瞭は理紗子の頭を撫でた。そして届かない声を親友に送る。
「りさちんのボロボロの心は側で見ていて辛かったわ。今はゆっくりと休んで心と身体を癒してね」
　自身の言葉で少し涙ぐむ。真瞭は正面に向き直り、瞼を閉じた。
「実は私も秋の定期公演が終わったばかりで疲れていたのよね」
　間もなくして二人の寝息が重なるように聞こえてきた。