猫又川でのんびりと｜リアクション

猫又川でのんびりと

　九夜山の中腹で全裸の蓮太郎が仰向けで倒れていた。飛び込んだ温泉は浅かった。臀部に激しい衝撃を受けた上、見事に滑って後頭部を地面に打ち付けたのだ。一瞬で意識は刈り取られた。近くにいた璃亜のろっこんのおかげで幸運を授かり、甘い桃源郷の住人として過ごしてきた。
　その効果が終わりを迎えようとしていた。温泉から食み出した手足が寒さで震える。不安定な動きで口が開き、大きなくしゃみで目を覚ました。
「……女神様と天女様は？」
　ぼんやりとした意識で辺りに目をやる。夢かー、と項垂れた。
「ま、覚えているだけマシか。しかも極上の夢だったしな」
　グヘヘヘ、と蓮太郎は悦に入る。
　小さいながらも温泉に浸かり、愉悦の一時を過ごすのだった。

　興奮を抑えられない様子で美咲紀は山中を歩いていた。先程、シダ植物のミズスギを発見したのだ。暖かい地方に生える植物が九夜山にある。その事実が温泉の存在を仄めかしているように思えた。
　前方を見据えた美咲紀が目を丸くした。咄嗟に傍らの木に身を潜める。手にはデジタルカメラを握った。音を立てないようにして顔を出す。
　薄っすらと湯気が立ち昇っている。その下に温泉が湧いていた。周囲の下草の類いは高温で枯れてしまったのか。地面が剥き出しの状態であった。更には愛らしい先客がいて湯船から出した顔を、ちょこんと縁に乗せていた。目を細めているので眠っているように見える。
「イタチが、こんなに可愛いなんて」
　美咲紀は笑顔で身を震わせた。絶好のシャッターチャンスと言わんばかりにカメラを構える。その姿勢のまま、シャッターを切らずに手を下ろした。
「新聞部の部員としてはスクープなのですが」
　もう一度、カメラを構える。小さな低音でレンズが迫り出す。ファインダー越しに見ながら美咲紀は呟いた。
「動物達が治療目的で温泉に来ているのなら、人間が邪魔しちゃダメですよね」
　カメラをベストのポケットに戻した。美咲紀はゆっくりと背を向けて忍び足で歩き出す。少し離れたところで後ろを振り返った。
「少しもったいなかったですかねぇ」
　そんな言葉を残して元気に腕を振って帰っていった。