何も死守しない普通の一日｜リアクション

何も死守しない普通の一日

「わあ、たくさんいるね」
　丸美は戯れるレッサーパンダを見て声を上げた。スケッチブックを開いて独特なタッチで絵を描いていく。どれどれ、とピーターは横から覗き込む。
「大胆な線で描くねえ。感性が迸るような躍動感を覚えるよ」
「そう見えたら嬉しいなぁ。レッサーパンダってタヌキに似て可愛いよねぇ」
「タヌキかぁ。そうかもしれないねぇ」
　ピーターは目尻の皺を深めてカメラのファインダー越しに動きを追う。一匹のレッサーパンダがリンゴを前脚で持って小刻みに食べていた。
「丸美君、こちらの一匹はリンゴを食べているよ」
「あ、可愛いかも」
　丸美は手を止めて蕩けそうな笑みを浮かべる。
「もっと広いところだと、どんな感じになるのかなぁ」
「そうだねえ」
　ピーターはカメラを手にしたまま、動きを止めた。遠い眼差しが過去を思い出しているかのようだった。
「ビアズリーさん？」
「……ああ、少し思い出していたんだよ。昔、かみさんと海外に行った時にナイトサファリを体験してねえ」
「ナイトサファリですか」
　そわそわした様子で丸美の目が丸くなる。
「動物達がいるところを歩いて回るんだよ。かみさんも前日の夜から、丸美君みたいな状態になってねえ。当日は眠りながら歩いて、うっかりコツメカワウソに、あれ？」
　話の途中でピーターは首を傾げた。それに合わせて丸美も耳に手を当てた。
「たくさんの動物が騒いでいるみたい」
「そうだねえ。ナイトサファリを思い出すなぁ」
　呑気な二人の横をダチョウが走り抜けた。驚いた丸美はピーターの袖を引っ張る。
「ビアズリーさん、ダチョウ！　ナイトサファリだよ！」
「象もいるねえ」
　ピーターが指差した方向では象がのんびりと歩いていた。その間に数頭のサルが目の前を横切った。
「おやつを上げれば戻ってくれるのかな？」
「いやぁ～、どうだろうねえ。それよりも、ここはいつから放し飼いになったのかねえ」
　ピーターの疑問に答えるかのように園内放送が始まった。
『た、只今、動物を間近に体験できる、触れ合いイベントを開催中です。過度なスキンシップは少し控えて、そ、その、活き活きとした動物達の姿をお楽しみください』
　たどたどしいアナウンスのあと、園内を飼育員が走り回る姿が見られるようになった。
「そうなんだねぇ。今の内に絵を描いちゃおう」
「昔を思い出すねえ」
　ピーターはカメラのレンズを方々に向けた。丸美はスケッチに忙しい。夢中で手を動かしている間にヤギが側に寄ってきた。画用紙の匂いを嗅いで齧り付く。
「うわぁ、待って！　ヤギさん、スケッチブックを食べちゃダメー！」
　ぶんぶんと手を振る丸美を見てピーターは朗らかに笑った。
　周辺に動物の姿が見えなくなる頃、園内放送でイベントの終了が告げられた。
「ちょっとドキドキしたけど、楽しかったー」
「良いイベントだったねえ。得した気分になれたよ」
　ピーターは丸美に微笑みかける。
「まだまだ見てないところがあるよね。ビアズリーさん、一緒に行こうよ！」
　弾けるような声に引っ張られ、そうだねえ、とピーターは笑って付いていく。
　仲の良い親子のような二人は寄り添って園内を回った。