幼き日の君へ｜リアクション

幼き日の君へ

■いつかの未来のために

　心地よい風が御剣刀の頬を撫でる。
　耳に届くのは、風に揺られる木の葉の音。そして、幼い自分が、木刀を振るう音。
　刀は、亡くなった祖父が経営していた剣道場の前にいた。
　刀の記憶と寸分違わぬ道場には、人影が二つ。幼い頃の刀と、剣道着を着込んだ祖父。
　スポーツ刈りの少年は懸命に木刀を振るい、白髪に白髪という厳つい顔の男性はその姿をじっと見守っていた。
　懐かしい風景に、幼い頃の記憶が思い出される。

　祖父の元に押しかけ、弟子にしてもらうよう頼み込んだ。
　修行は厳しいと言われても一歩も引かず、どうにか弟子にしてもらった。
　そして、祖父が経営する剣道場で、想像以上に厳しい修行を重ねた。
（……あ）
　木刀を素振りしていた少年の動きが乱れる。
　疲労のせいか、真っ直ぐに振り下ろすはずの軌道が、僅かに横へ逸れた。
　その瞬間、少年は祖父に木刀で腕を殴られ、握っていた木刀を取り落とした。
　道場内に、乾いた音が響く。
（あの頃は、何で祖父さんがあんなに殴るのか分からなかったな）
　祖父が教えていたのは、殺し合いの技術。失敗は即、死に繋がるためにやってはいけない動きをした際は二度と同じ事が起きないよう、強く記憶させなければならない。
　痛みという刺激と共に、徹底的に動きを強制する。
　何故、祖父はそこまで厳しい修行をするのか。それが分かったのは、神魂絡みの事件で戦うための剣を振るうようになってからだった。
「本当に祖父さんは厳しかったよな」
　刀は、殴られて腕を押さえる少年の姿を見て小さく呟く。
　相当痛いのだろう、少年は顔を歪めていたが泣き出すことはなかった。
　取り落とした木刀を握りなおし、素振りを再開する。
　何度も何度も、祖父の言葉に従って木刀を振るう。少年の動きが乱れる度に、祖父から厳しい殴打が飛んできた。
（きっとこの後、隠れて泣くんだろうな）
　何度も殴られ何度も泣いたが、けして祖父の前では泣かなかった。
　痛みや辛さや悔しさを抱え、一人でこっそりと泣いて、祖父の前では平気な顔をして修行を重ねていた。
　どうしても、祖父の前で泣くのは悔しかった。
　再び、少年が木刀を取り落とした。その腕は赤く腫れている。
（ああ、また……今の動きは、本当に不味い動きだもんな）
　当時は分からなかったが、今だからこそ分かる。腕が上がったからだろうか、祖父の気持ちも分かるような気がした。
随分と未熟な自分を見ていると、どこか心の奥底を擽られるような気持ちがする。
きっと少年は、これからも祖父の元で剣を極めるべく修行を続けていくのだろう。
祖父が今の刀を見たら、なんと言うだろうか。
道場の中、少年の素振りを難しい顔で見つめる祖父を見て、刀は考える。
自分などまだまだだと言われてしまうかもしれない。何年かぶりに、殴られてしまうかもしれない。

花の香りが、風に乗って流れてきた。
ぼんやりと視界が歪み、気がつけばいつもの道にいた。
刀を指導する祖父は、もういない。亡くなってから、刀は一人で練習を繰り返してきた。
しかしまだ、祖父の剣術を極めたとは言えないだろう。
（――俺は、祖父さんの剣術を極めて俺の剣術を作る、必ず）
　幼い頃の自分を思い出し、決意を固め歩き出す。
　向かう先は、いつも剣の練習を行っている寝子島神社。
　足取りは力強く、刀の目に迷いはない。
　今日もまた、刀は剣を振るう。いつか、自分の剣術を作るために。