幼き日の君へ｜リアクション

幼き日の君へ

■あなたが幸せであればいい

　御子神緋梨は、自分の腕を軽く抓った。……痛い。
　どうやら、夢ではなさそうだ。
　工房で指輪の製作をしていたはずが、花の香りに顔を上げたら近所の公園にいた。
　短髪の少年と、それをぼんやり見つめているショートカットの少女。
　緋梨は、その場面に見覚えがあった。
　ゆっくりと少女に近付くと、優しげな声音で声を掛ける。
「ねぇ、きみ……あの子のことが好きなの？」
「えっ……」
　突然の問いかけに、少女は驚いたように目を丸くし、ほんのりと目許を赤らめた。
「ごめんね、きみがあの子のことをずっと見てたから」
　緋梨が言葉を重ねると、少女は恥ずかしそうに目を伏せる。
　知らない人間相手にどう答えたら良いものか、少女は迷った末に、躊躇いながら小さく頷いた。
「……はい。あの、彼にこのことは……」
「うん、大丈夫。言わないよ」
　緋梨が頷いてみせると、少女は安心したように胸を撫で下ろした。
　その姿を見て、緋梨の胸がつきりと痛む。
　短髪の少年は、少女の視線の先で快活に笑っている。
　
　彼は、緋梨の幼馴染だった。
　お互いに誰よりも傍にいて、隣で長い時間を過ごした二人は、いつしか親友になっていた。
緋梨はその胸に甘い想いを抱えていたのだが、彼はそれに気付かない。
緋梨も、想いを伝えることはなかった。彼の瞳に、隣にいる親友は映っていないことを知っていたから。
想いを伝えないまま時は過ぎ、彼は大切な女性と結ばれた。
長い恋の結末を知っている緋梨は、少女を見下ろして考える。
（今、この女の子に気持ちに正直にと伝えれば何か変わるのかな？）
　もしも、自分が彼に気持ちを伝えていたら。また違った未来があったのかもしれない。
　細く息を吸い込んで、緋梨は口を開きかけた。
　しかし、幼馴染の声が耳に届くと、出掛かっていた言葉を飲み込む。
（……ううん、きっと……）
　切なげに眉を寄せ、脳裏に浮かぶ想像を振り払う。
　そして、怪しまれないように笑顔を作り少女へ言葉を投げかけた。
「いきなり変なこと聞いてごめんね」
「いえ、大丈夫です。あの、あなたは……」
　少女の問いには答えず、緋梨は軽く腰を屈めて少女と目を合わせる。
「……最後にこれだけ。きみはいつか、誰かを飾れる人になって。……お姉さんはね、なりそこねちゃったから」
「誰かを、飾れる人……？」
　少女は緋梨の言葉を飲み込みきれず、目を瞬かせながら繰り返した。
「そう。……お願いね」
　頷いて少女に手を振り、緋梨はその場から立ち去ろうと歩き出す。
　少女が何かを問いかけようと口を開く。しかし、言葉を聞く前に花の香りが緋梨を包んでいた。

　気がつくと、いつもの工房にいた。
（あれは夢だったのかな）
　先ほどの出来事を思い出し、首を傾げる。
　遠くの幼馴染をぼんやりと眺める、いつかの日の自分。
　それは確かに、記憶に刻まれていた。
（けど……夢でも、あの人と結ばれようなんてしなくてよかった）
　緋梨は製作途中の指輪を眺めながら、幼馴染の幸せそうな姿を思い出して目を細める。
（私が好きになった人が選んだ女性だもん。きっと……素敵な人だから）
　果たされなかった夢に胸はまだ小さく痛むものの、手を動かしていくうちにそれも薄れていくだろう。
　大きく伸びをすると、緋梨は指輪の製作に戻った。

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