自分が自分でいられる場所で｜リアクション

自分が自分でいられる場所で

　●　思い出は秘密基地の中に　●　

「ただいま……」

　誰もいないのは分かっていても、御巫時子はそう呼びかけてから家に入った。
　この家に入るときはいつだってそう言っていたから、他の言葉は思いつかないし、無言で入るのも抵抗がある。

　もちろんそれに応えてくれる声はなく。
　音のない寂しさを紛らわすように時子は肩に留まっている鳥に話しかけた。
「ここにはお婆様が住んでたんですよ」

　旧市街にあるその家は、手前側が日本家屋、渡り廊下で繋がった奥に洋館という造りになっている。
　時子は本土の生まれだけれど、小学２年生のころから夏休みには寝子島に来てこの家で過ごしていた。だからこうして中にはいると懐かしくてたまらない。

　住む人がいなくなってからも、家は管理されている。
　廊下もきれいに磨かれて、家に満ちる空気も清浄だ。
　時子の足は自然と、昔この家を訪れていたころと同じルート辿る。
　玄関で挨拶したあとは、まっすぐに奥の部屋へと向かう。
　だってそこではいつだって、祖母が時子の訪れを待っていてくれたから。

　奥の和室のふすまを開けると、お帰りという声が聞こえそうな気がする。
　座卓の手触りを確かめ、祖母が座ってた畳摺りの椅子に座ってみる。

「膝や腰への負担が少ないからって、お婆様はいつもこの椅子に座っていたんですよ。それでこうやって、帰ってきた私の頭を撫でてくださって……」
　鳥に祖母の仕草を真似して見せようとして、時子は動きを止めた。
　湧き上がってくる想いに、泣きそうになる。

　大好きな家なのに、祖母が亡くなってからは来ることが少なくなってしまった。
　それはこの場所に思い出が沢山ありすぎるから。
　来ると幸せな気持ちになって。それと同時に切なさも溢れてしまう。

　時子は椅子と向かい合う位置に立つと、両腕を広げた。
「お婆様、どうでしょう……似合ってますか？」
　祖母は寝子島高校の制服をきた時子を見るのを一番楽しみにしていた。
　それが叶う前に帰らぬ人となってしまったけれど……。
　時子には、椅子に腰掛けて目を細める祖母の姿がありありと思い浮かべられた。

　名残惜しく祖母の部屋を出ると、時子は今度は洋館に進んだ。
　２階にある自室に向かおうと、彫刻の施された階段の手すりに触れながら上がってゆく。
「本当は星ヶ丘の寮じゃなくここから学校に通うつもりだったんですよ」
　そうしたら今とは何が違っただろう。
　あったかもしれないが、今はもう失われたもうひとつの『寝子高生活』を時子は思う。

「あ……」
　階段の踊り場を前に、つい足を速めた時子の肩で、鳥が慌てたように羽ばたく。
　ごめんなさいと謝って速度を戻したけれど、目は踊り場にあるステンドグラスに釘付けのまま。
　そのステンドグラスには沢山の鳥が描かれていた。
　光を映す鳥たちは精緻で綺麗で。
　時子はしばし見とれたあと、置いてある椅子に腰掛けた。

　時子は小さい頃からこのステンドグラスがお気に入りだった。
　よくここで立ち止まっているから、祖母がゆっくり眺められるようにと椅子を用意してくれたのだ。
　今にも動きそうな鳥たちを、時子は飽きず眺めた。
　あのころから視点は少し高くなったけれど、ここに座る時子の気持ちはあのころと変わらない。

　かなり長い時間、ステンドグラスを見たあと、時子は２階にある自室に入って窓を開けた。
　窓から見える木々の緑を吸い込むように深呼吸。
　そうすると祖母が生きていたあの頃に戻ったようだ。
　木に興味を惹かれたのか、鳥が肩から窓の外へと飛んでゆく。
　見送って微笑んだ刹那。

「時ちゃん」

　あの優しい声がして、時子は弾かれたように振り返る。
　そこにはやはり誰もいなくて。
　ただ何かの温かい気配だけが漂っているのだった。

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