寝子召地蔵と流れ星の雨｜リアクション

寝子召地蔵と流れ星の雨

　若いころの苦労は買ってでもしろ、要領よくこなすことを最初から覚えてはいけない……とはよく言ったものだが、それでもあの時もっとうまく立ち回れていれば、あの時に今のような知識や考え方がもう少し身についていたら……そう思うことが、奈良橋博美には少なからずあるようだ。寝子召地蔵の噂を聞いて、もしかしたら本当に過去の自分に何か働きかけることが出来るかもしれない、そんな思いで今、博美は夜の河原で幼い頃の博美と対峙している。

「文武両道ってさ、両立するもんじゃないんだ。分かるか？」
「どっちかでいいってこと？」
「違う違う」

　武道、勉強、幼いころの博美はどちらもよく努めていた。ただ若干、武に偏りがちなところがあったのは否定出来ない。強くなるには鍛錬を怠らなければいい、知識を得る為机にかじりつく暇があるなら走りこみをしたほうがいい、そう思って文を軽視していたかつての自分を、博美は今少し恥じている。

「試合に勝ちたいと思ったら、何をする？」
「練習！」
「そうだな、練習は大事だ。じゃあ、勝つ為に相手の試合を見に行くのはどうだ？」
「えー？　見てる暇があったら組み手したほうがいいじゃん！」

　幼い博美の言い分も尤もではあったが、それでは越えられない壁があるのだと今の博美は語気を強めた。

「違うって！　対戦相手の動きを見ておけば予習が出来るだろ？　何も知らずに行き当たりばったりで突っ込んで行くのとは大違いなんだ」
「うーん……そうかも」

　例えば、攻撃の予備動作。特定の動きをするときに出来る隙。実際に対戦するまで分からない情報が、試合からは山ほど読み取ることが出来る。実力差のある相手であれ、動きを研究して隙を突くことが出来れば勝ち目が見えてくるのだ。
　鍛錬を積んだことでつけた自信がひとり歩きし、自分の力量を客観的なデータで分析もせずにいるとどうなるか。待っているのは無謀な突撃と手痛い代償だ。

「敵を知り、己を知れば百戦危うからずっていうのは本当だぞ？」

　知ること、考えること、その癖を身につけるには、まず知識と情報を吸収する必要がある。膨大な情報を取捨選択し、自分に必要かどうかを瞬時に判断する能力は武道にも必ず役に立つはずだ。むしろ、それを怠ってきたことで今自分が苦労しているのだと、博美は幼い自分に向かってこんこんと諭す。

「（効果があるかはわからないけど、でも……今を楽にしたいとか思っちゃうんだよな）」

　情報を疎かにしていたから今苦労する自分が出来上がっているわけで、それがこうやって、どんな理屈か知らないが出会えてしまった過去の自分に語りかけることで、今の自分を変えることというのは出来るのだろうか。それでも、博美は伝えずにはいられなかった。

「今のままじゃ絶対に苦労する。武術の修行は続けるべきだし、テストの点は取れなくてもいいから……動く前に考える・知ろうとする癖をつけてほしい。そうすれば、もっと強くなれる」

＿＿今より、強く……？

　幼い博美の肩を叩き、言葉を伝えきった瞬間、博美の心に何かがすとんと落ちてくる。幼い自分にも分かるように言葉を選び、口にすることで、自分の中で情報の大切さがほんとうに理解出来たような、そんな気がした。

「（……効果、あったかもな……）」

　過去は変えられない。だが、過去を踏まえてこれからの努力を変えることならきっと出来る。流れる星を見上げ、博美は誓った。強くなるためには、頑張るしか無いから。