九夜山とふもとを繋ぐロープウェイに乗り、砂掛谷駅を降りて道沿いに東へ進むと見えるのが、寝子温泉というちいさな温泉街。その手前にある川にかかった橋の袂にひっそりと、ちいさな地蔵堂が建立されている。誰が建てたのか、いつからあるのか、詳しいことは誰も知らない。だが、地蔵堂とその周りはいつでも綺麗に掃き清められ、季節の花や駄菓子・果物・かつおぶしなどのお供えがある日も多いという。
地蔵菩薩とは、娑婆の衆生を救済し、特に幼くして亡くなった子供の魂を救いながら、この世とあの世を行き来しているといわれる菩薩のことを指す。転じて、子供の守り神としても広く信仰を集めており、ここ寝子島にもいくつかの地蔵堂が建てられていた。
この砂掛谷駅前にある地蔵堂のお地蔵様は、『寝子召地蔵(ねこめじぞう)』と呼ばれ親しまれている。開けた片目が猫の目のようだから『猫目』と呼ばれるようになったのが転じたとか、迷子になって地蔵堂の前で眠ってしまった子供をふもとの家に帰してあげたという逸話が残って『寝子召』になったとか、様々な言い伝えがあるが、もちろん本当のことは誰も、知らない。
そんな寝子召地蔵の目が、雨の日でもないのに時折濡れていることがある、という噂が流れ出したのは、さて……いつからだっただろうか。
誰かが拭き清めたわけでもないのに、どういうわけだか、開けた片目からまるで涙のような水滴を流しているというのだ。不確かな噂によれば、それを拭こうと水滴に触れた次の瞬間、覚えのない河原のような場所に移動させられてしまうらしい。
その場所は雨が降っていたとか、よく晴れていたけれど暑くはなかったとか、昼間だったとか夕暮れ時だったとか、移動させられた先でのことは、さまざまな形の話になっている。だが最近では、どうも流星群の見える夜の河原に移動するともっぱらの噂らしい。
そしてそこにはかつての自分……今よりも幼い自分が、河原でひとり、石を積み上げ、夜空を見上げながら、何かを待っているのだという。まるで、賽の河原のようだ。周りには誰もいない、ただ、自分と、幼い自分がいるだけ。あるのは穏やかな川のせせらぎと、幼い自分がたどたどしく石を積み上げる音。夜風がやさしく頬を撫でる気配、そして、時折光っては消える流れ星。
こうして市井に噂があるくらいなのだから、そこに行かされても帰ってくることは出来るのだろう。少しの間、あの頃の自分と話をしたり、遊んでやったり、星をなぞったりするのもいいかもしれない。
寝子召地蔵は、何を救おうとしているのだろう。
そんな思いを胸に抱きながら、あなたはその涙に触れる。
こんにちは、瀬島です。
神魂の影響でふしぎな力を持った九夜山の寝子召地蔵がふたたび登場です。
お地蔵様に導かれて、あの頃の自分に会ってみませんか。
寝子召地蔵についてもっと詳しく知りたい方はこちらのシナリオをどうぞ。
(もちろん読まなくても今シナリオをお楽しみいただけます!)
!ご参加をお考えの方へ!※必ずお読みくださいね
今シナリオは、上記のシナリオ『寝子召地蔵と涙の川』とほぼ同じ内容となっております。
その性質をふまえ、『寝子召地蔵と涙の川』にご参加されたPC10名様は申し訳ありませんが今回のご参加をご遠慮くださいませ。
万が一該当PC様が今回も参加された場合、どのようなアクションを送っていただきましてもリアクションでの描写は一切いたしません。あらかじめご了承ください。
【補足事項】
1、移動させられた先の河原で会えるのは、幼い自分(本人)だけです。
ご一緒にシナリオに参加した方と交流することはありません。
NPCも登場しません。
2、何歳ころの自分に会えるのかは、アクションである程度ご指定いただいて構いません。
ただし今より確実に若く幼い子供です。
3、ガイド本文に記載があるとおり、移動した先は夜の河原です。
流星群がよく見える、晴れた夜空のようです。
4、特にご記入がなくてもきちんと帰ってくることが出来ます。ご安心ください。
それでは、幼い皆様が語るいつかの物語を、お待ちしております。