寝子召地蔵と流れ星の雨｜リアクション

寝子召地蔵と流れ星の雨

　檀家回りの帰り道、何故か足が向いて寝子召地蔵を訪れたのは齋藤智照。枯れた花を取り除いて軽くホコリを掃き、地蔵菩薩本願経を誦経して静かに手を合わせる。縁なき衆生の為、救済を願いあまねく人の世に在らんとした地蔵菩薩を思い智照が顔を上げると、目に入った寝子召地蔵の目から一筋の涙が伝っていた。巷の噂通りの光景に、智照はまた目を伏せる。

「（何を思い、誰を思い、この涙を流しておられるのでしょうね……）」

　そう思い、その涙に触れた瞬間。よく晴れて少し暑いくらいに感じられた昼間の景色が一転していた。これも噂通り、一瞬驚きに目を見開いたものの、それなら……と振り返った智照の目に飛び込んだのは、十歳ほどの少年の姿だった。上下揃いの寝巻き姿だが上着も着ず、履きつぶしてかかとがくしゃくしゃになった運動靴を裸足で履いている。智照にはすぐに分かった、あれはあの冬の日、家が人と違うことを受け入れられずにいた自分の姿だと。

「智照（ともてる）さん、こんなところまで家出ですか？」
「あぁ？　クソ坊主が何の用だよ」
「おやおや」

　坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、とはよく言ったものである。幼い智照は袈裟姿の智照をキッとひと睨みし、苛立ちを隠そうともせずに積もうとしていたはずの石を川に向かって放り投げた。

「我ながら生意気な口を叩きますねぇ、軽く捻っておきましょう。これで少しはお話が出来るといいのですが」
「いででででで！！！」

　幼い頃の自分がそれなりに生意気で口も手も達者ないわゆる悪童だったことをよく覚えている智照はさすがに容赦がない。文字通り口の端をぎゅっとつねって持ち上げようとしたところで幼い智照がしぶしぶ音を上げた。

＿＿クリスマスなどうちには関係ない！　どうしてもと言うなら出て行ってよろしい

＿＿おお、出てってやるよ！　

　今は亡き父の声と、咄嗟に悪態をついてしまった自分の声が智照の脳裏によみがえる。見れば、幼い智照もその声を聞いたかのような、何かをこらえた悲痛な顔をしていた。今の智照なら、住職であった父の理屈も分かる、そしてもう少し言葉を選んで諭すことも出来ただろうにとも思える。仏道とはゆかりの無いキリスト教の祭日を、信徒でもない人々が浮かれて騒いでいるのを、厳格な智照の父は苦々しく思っていたのかもしれない。

「君がそんなにクリスマスを祝いたい理由は何ですか？」
「うちだけやらねえから、つまんねえ……」
「そうですね、お友達にクリスマスプレゼントを自慢されては寂しくもなります。お気持ちはわかりますよ」

　子供にとって、クリスマスのお祭り騒ぎは縁日屋台のようなもの。神仏との有縁の日に参詣することよりも、参道に並ぶたこ焼きや綿飴、お面や射的のほうが楽しみで思い出に残るのと同じかもしれない。

「クリスマスはあなたの為の日ではないでしょう？」
「そうだけど」
「君のご両親は、誕生日はきちんとお祝いを用意しているではありませんか。皆の為のクリスマスではなく、君の為だけに」

　それがどれだけ贅沢で愛情にあふれたことなのか、幼い智照にはまだ分からないのかもしれない。だが、いっときの不満でそれごと失ってしまってもよいのかと諭してみせると、幼い智照の険しい顔つきが少しずつ柔和になってゆく。

「拗ねてないで、帰ってごらんなさい。ケーキやプレゼントは無くても、そうですね……お母さんが、君の好きな甘茶を淹れてくれるかもしれませんよ」

　星がひとつ、ふたりの智照の頭上を流れた。それを見送り、幼い智照はきゅっと口をつぐんだまま立ち上がる。

「そんなこと……知ってらぁ」

　最後まで素直ではなかった幼い智照は、さっと背中を見せて駆けて行った。それでもいい、行く先はきっと家族が待つあの家だから。そっと手を振り、智照はその背中をいつまでも懐かしげに見守っていた。