【求道者たち】

　世の中には、いわば、辛いものジャンキーとも呼ぶべき人々が存在しておりまして。
　口内を駆け巡る、果て無き刺激……それを乗り越えた先に待つ、突き抜けるような爽快感。辛味がもたらす、天にも昇らんばかりの、至福の快楽……！
　そんなものに魅せられ……いえ魅入られてしまった人々は、今日もまた至高の辛味、即ち激辛カレーを求め、食の戦場を渡り歩くのです。
　そう……自分を満足させてくれる、真の辛さに巡り会うその日まで！



　といったグルメ漫画のようなノリもまた、彼女にとっては、これが冗談では無いわけでありまして。カレーに関しては特に。
　ががーっ、横開きの自動ドアが開き……あれ、このお店の入り口って、自動でしたっけ？　なんて疑問も吹き飛ばすほどの、圧倒的なオーラ。王者の風格！
「……ふふふ。なますて」
　カレーと言ったらインド。インドと言ったらカレー。激辛カレーと言ったらインド人、もーこれ、間違いようが無い絶対的方程式なのです。
　インドからやってきた、真のインド人留学生……プリティヴィ・プラサード、入店ッ！
「私の飢えた舌が、この店へと導いてくれた……ここでなら真の刺激に出会える、と」
「は、はあ……えっと、一名様ですよね？」
　店員さんのあっけに取られた表情も、どこ吹く風。カレー強者・プリティヴィは、くん、とひとつ鼻を鳴らして、あたりに漂うスパイシーをまずは確認。
「……店内から感じられる、このオーラ。なるほど……私の鼻と舌が教えてくれている。あるいはここなら、私を満足させてくれるかも」
「あの……一名様……」
　しばし、そんなやり取りが続いた後。プリティヴィはまだ見ぬ強敵との出会いを前に、心地良く昂ぶる鼓動を胸に秘め……ここ、何屋さんでしたっけ？　ともかく、お席へとご案内されました。
　四人用のテーブルへ一人、余裕の表情で着いたプリティヴィ。一応インド風でもある店内の装丁に、寝子高制服とインド伝統のサリーを組み合わせた彼女独自のファッションは、実に良く馴染んでおります。
　メニューをぱらりとめくりますと、
（Lv.５？　が、一番辛いのかな。具材はチキンかな、やっぱり……トッピングも色々。うん、これは色々乗せるべき）
　……実のところ、日本特有のカレー文化には、これが興味津々、わくわくしてたりするプリティヴィだったりします。いくらカレー強者であっても、彼女はまだ１５歳の女の子……っていうか今さらながら、カレー強者なんて単語も初めて聞きますけれど！
　楽しげな様子で注文を伝えますと、ぱたぱたと戻っていく店員さんを見送って、懐かしい響きのインド古典音楽に心を落ち着かせながら、待つことしばし。
　やがて、
「……お待たせいたしました。『輪廻転生』の辛さLv.５、こ、『恍惚の紅い月』。『ニャンティチキン』に、トッピングが……オクラ、カボチャ、ニンジンピーマン茄子レンコン、それからマンゴーラッシーになります」
「ありがとう。ふふふ……さあ、試させてもらうわ」
　なんて、不敵な笑みを浮かべつつスプーンを取ったプリティヴィには、戻っていく店員さんも、ちらりと後ろを振り返りつつ戦々恐々です。
　さっそく、まずは一口。ぱくり！
「……………………うん」
　……あれ？　さしたる反応の無いままに、スープを飲み、野菜を頬張り、チキンをぱくり。
「うん……うん」
　ラッシーをこくこく、ぱくり、ぱくり。食べ進めていくプリティヴィ……彩り鮮やかなLv.５の真っ赤なスープも、彼女には全く、どうということも無いようです。インド人、すごい！
　そうこうするうち、すっかりと平らげてしまった彼女。
　食後の余韻にゆったりと浸る……かと思いきや、おもむろにさっ、と手を上げて、叫びました。
「女将を呼べ！！」
　……波乱の予感……ッ！



　結梨亜・カールシュテインが、女将を呼べ！　を聞きつけたのは、ちょうどメニューを開いて、店員さんへ注文を伝えようとしていたところでした。
「す、す、すみませんお客様、少しだけお待ちいただいても……！？」
「あ、はい。大丈夫ですヨー」
　あまり気丈には見えない、おっとりした奥様といった雰囲気の店員さんが、ぺこりと頭を下げてから、慌てて出向いていったほうを眺めてみますと……お店の内装やらＢＧＭやらに激似合いな、インド人らしい女の子の姿。
（わ、かわいい子ですねー。うーん、なんでしょー？）
　何やら、トラブルでしょうか？　ちょっぴり肩透かし、手持ち無沙汰な結梨亜は、仕方が無いので、成り行きを眺めてみることにします。
　店員さんは、女の子……プリティヴィへぺこぺことしつつ、
「あ、あのお客様、ご注文のお品に何か、不都合が……そ、粗相がありましたでしょうかっ！？」
「え？　日本の漫画で、店員さんを呼ぶ時、ああ言ってたから。間違ってた？」
　店員さん、がくーっ！　安堵と脱力に見舞われ、ほあああ、と深い息を吐きました。日本の習慣やら風習には少々疎いプリティヴィ、どこで読んだやら、グルメ漫画の受け売りでありました。
　まあ彼女、この時内心では、
（……一度言ってみたかったから、っていうのは、黙ってたほうが良さそうな空気。うん、黙ってるべき）
　なんてことを考えていたりしましたけれど。
　それはさておき、
「そ、それで、お客様、あの何かご用でしたでしょうか……？」
「一つだけ。味は悪く無い、ううん、なかなか良い。日本独自のカレーなのに、ふとインドを思い出せるのも、すごく良い。具材のチキンも、野菜も、この辛さに負けずに良く活かされてる……この素材の良さは、日本ならでは」
（……何だか、面白い子ですねー）
　どうにも気になってしまい、結梨亜も見守る中。
　ただし！　とプリティヴィは言い置いて、
「スープの辛さとラッシーの甘さが、個人的には不足。もっともっと……せめて１０倍は辛くするべき。私はそのぐらいが、きっと好み」
（おお……さすがインド人）
　どうやら彼女、味や具材はさておきまして、辛さがいまひとつ物足りなかったようです。本場インド人の立場から、そのことを一言、伝えておきたかったのでしょうか？
　と、その直後。
　なだめるように言った店員さんの言葉は、結梨亜にとっても、聞き逃すことのできないものでありました。
「あ、あの。ラッシーはともかく……実は、辛さにとてもお強いお客様のために、スープには辛さLv.５以上のメニューも、ご用意しておりまして……」
「えっ、Lv.５以上があるんですか！？」
　思わず結梨亜、乱入！
　そう。彼女もまた、カレー強者……超！　が付くほどの、これがもう極まった辛党さんなのでした。折りしも、先ほどもLv.５を注文しようとしていたところ。それ以上のレベルがあるというなら、これは頼まないわけにはいきません！
　刹那、ここに邂逅を果たしたツワモノ二人の、交わる視線。
「…………」
「…………」
　こくり。ただひとつ、うなずき合った結梨亜とプリティヴィ。真の辛味を追求する者同士、纏ったオーラは、口を開くまでも無く雄弁に互いの力量を物語り……ええと、何のお話でしたっけ、今回。
　ともあれ！　二人は、晴れて決定した注文を、戸惑う店員さんへと伝えるのでした。
「『輪廻転生』の、具材はチキン。辛さは、裏メニューでお願いしまーす！　トッピングはチーズで、食後にラッシーのストロベリーも！」
「私はさっきの注文の、辛さを裏メニューに。おかわり、お願い」
「か、かしこまりました、少々お待ちを……！」
　裏メニュー……噂によれば、店主が究極の辛さを追い求めたその真髄、激烈な辛さを誇るというスープカレー。
　果たして、その実態やいかに……！？
「ふふふ、楽しみですねー！」
「ええ。今度こそ、私の舌を満たしてくれれば良いけど」
　にっこりと笑いかけた結梨亜へ、鷹揚にうなずいたプリティヴィ。二人はにこにこ、あるいは心の中でうきうきとしながら、注文の品の到着を心待ちにするのです。