寝子島図書館、あくびの怪｜リアクション

寝子島図書館、あくびの怪

　実は、この怪事を天動記士郎はほんの少しだけ楽しんでいた。
「こわくないですよ、こわくない」
　そう呟きながら館内を歩き回る記士郎は、傍から見ればかなり『アブない』人であるかも知れないが。

　ことは、数十分前にさかのぼる。

　そこそこ足を運ぶ図書館だったが、今日の記士郎には確固たる理由があった。
　それは自分の「ろっこん」についてだ。
　最近「もれいび」として目覚めたらしい記士郎は、自分の力が天気や気象と関係していることから、それらを調べに来たのだ。しかし……。
「け、結構難しいですね」
　天気の専門書はなかなか根気のいる書物だ。
　続いていた集中力も、和やかな空気と、適度に保たれた館内温度にゆるゆるとほどけてゆく。
　そして最終的に眠りの世界へ旅立ってしまったのだった。

　不意に館内に流れたアナウンスに意識が戻り、記士郎はあくびを漏らしながらしばらくぼうっとしていた。
　その間に、ページからは文字や記号などがふわふわと浮かび上がる。
　天気図の線も、文字と重なった部分から浮き上がり始めた。
「……あれ？」
　糸目を限界まで開いて、記士郎は現状を眺めていた。
　ゆっくりと動く天気図を、つん、と指でつついてみる。動いた天気図に驚きながらも、興味は尽きない。
　そして、今に至るのだ。
「こわくないですよ」
　天気図は他の文字とは違い、ふわふわとくらげのようにゆったり空中を泳いでいる。
　記士郎はそれらを腕で守るように覆い、図書館の中を歩き回っていた。
（しかし、どうしてこんなことに……）
　記士郎はふと思い立ち、エプロンのポケットに入れていた白蛇の鱗にそっと触れた。
　これが記士郎のろっこんの源だ。
（どうかな。うまく結びつくかな）
　だが、鱗も天気図も目新しい変化は見られない。
　記士郎は肩を落とし、もう一度天気図をつん、と触ってみた。
　そうして前に気をとられていたからだろうか。
　気づいた時には、椅子の足につま先をとられていた。
「あっ！」
　天気図や記号たちが、腕を離れ、派手に飛び散る。
「しまった……！」
　急いで宙を掻く記士郎の横に、誰かが屈んだ。
「絵は浮遊しない。でも、図形は浮き出るんだな……」
　ぶつぶつと隣で天気図を検証しているのは八神修だ。
「見えるんですか？」
　記士郎がおずおずと声をかけると、修は頷いた。
「はい。もれいびにしか見えないらしいです。それより、大丈夫でしたか。派手に転んでましたけど」
「ああ、私は平気ですよ。天気図たちが壊れてたり離れてないか不安で」
　それなら、と修は、記士郎が転んだ拍子に床に落ちてしまった天気図の本を記号たちに近づけた。
「本を近づけると動きが鈍るんです」
「へえ。そんなことが」
「それにしても、この天気図の動きは興味深い。文字と違って一個体が大きいからこんなに動きが緩やかなのか？　ということは小さい活字になるにつれ動きが早くなるのかも」
　完全に自分の世界に入り込んでいる修の話を、記士郎は横でにこにこと聞き続ける。
　時折天気図をつんつんしながら話が終わるのを待っていると、修ははっとしたように顔をあげた。
「す、すいません。つい」
「いえ。お陰で助かりました。ちなみに、これを本に戻すにはどうしたらいいか知っていますか？」
　尋ねると、修は親切に天気図の捕まえ方をレクチャーしてくれた。
「それじゃあ、俺も文字を捕まえに行きますね」
「本当にありがとう。がんばってください」
　修が頭を下げて行ってしまうと、記士郎はふわふわと漂う天気図を眺めてにっこりと笑った。
「戻し方も分かったことだし……もう少し私と遊んでくれませんか？」
　記士郎の問いに答えるように、天気図がふるふると浮き上がった。
「せっかくなのに勿体ないですからねえ」
　すっかり愛着が沸いた天気図をつん、とつつき、記士郎はあともう少しだけ、目を離さないように天気図を両手で包んだ。