寝子島図書館、あくびの怪｜リアクション

寝子島図書館、あくびの怪

（今日はなんだか図書館がざわついているな。２度のアナウンスといい、なにかあったのだろうか）
　騒がしくなってきた館内をよそに、山野無花果は何度も遅い来る眠気と闘っていた。
（締切間近の執筆に追われて、ここ数日ろくに眠れていないからな……）
　ペンネームを使い少女小説を書いている無花果は、今日の用事も新作原稿のネタ絡みだ。
　製菓関係の本を捲りながら、それとなく視線を身近な人間にめぐらす。
　ネタになりそうな人間を探すのも、もはや職業病だ。
　しばらくしてふと、無花果の目にひとりの学生が映った。
（掃除をしている……ボランティアか？）

「脚立、貸し出し中だってね」
「猫ちゃんのアナウンスも嘘だったなんて……」
「ま、まあ一緒にがんばろうよ」

　隣の女の子をなぐさめつつも、包帯だらけのその学生は、何をするにもツイていない。
　書架整理をしていれば本が頭へ落ちてくる、子供のこぼした水筒の中身に滑って転ぶ、とてんやわんやだ。
　すばやく着物の袂からネタ帳を取り出した無花果は学生の一挙一動を蔭ながら見守った。
（応援したくなる不幸体質の主人公……いいかも知れない）
　だが、そんな時にも眠気は容赦なく襲ってくる。
　余りの眠さに、無花果は袖で口を覆い、あくびをひとつした。
　それを合図に、怪事が無花果のネタ帳にも襲いかかる。
「な、なんだ、これは」
　そうこうしている間にも、文字はどんどん手の届かない所へ浮いていってしまう。
（あんなもの、当人に見られたりしたら……！）
　無花果はちらりと包帯学生を確認した。幸い、学生は自分のことで手一杯なようだ。
（まずは高い場所に手が届く物が欲しいな。あとは、どうやって本の中に文字を戻すのか。……知っているとすれば、司書たちだろうな）
　ひとまずカウンターに向かおうとした無花果。
　だが、館内の奥に脚立を使っている人物を見つけ、足を止めた。
　そのまま進路を変え、人気のない書架の方へ向かう。

「申し訳ないが、この脚立を貸してくれないだろうか」
　無花果が声をかけると、その女子学生―朱音はよたよたと脚立から降りてきた。
　あまりに危なっかしいので無花果も思わず脚立を押さえる。
「あの、もしかして文字が逃げちゃった人ですか？」
　開口一番、朱音の的確な言葉に無花果は戸惑いつつ頷いた。
　でも、ちょっと待って貰えますか、と朱音は頭を下げた。
「実は今、文字狩りをしてまして」
「はあ？」
「ほら、あそこです」
　吊られて顔をあげると、天井にひしめく文字の中に、一瞬、人が見えた。
　天井を駆けて文字を集めているのは、後輩である五十士柊斗である。
「協力して色んな人の文字を集めているんです。私は見張り役。でも、意外と天井ってみんな気にしませんね。駆けあがる時が一番のネックですけど」
「五十士も、なかなか大胆だな」
「え、知り合いなんですか！」
　驚く朱音に無花果が大学の話をすると、朱音は目を輝かせて無花果の手を取った。
「偶然です！　私も木天蓼大学なんです。花菱朱音と云います」
「僕は３年の山野だ」
「あ、先輩なんですね。それじゃあ山野センパイ、脚立は使い終わったらカウンターにお願いします。あ、でも五十士くんに頼んで取って貰うという手もありますが」
「いや、いい。手を煩わせるのも酷だろう」
　ネタ帳は極力人の目に晒したくない。その一心で無花果は重い脚立を運んだ。
　元の場所に戻り、脚立を立ててゆっくりと段を上がる。

「文字は、元の本を近づければ動きが鈍くなります。そこをページとページで挟んでしまえばまた紙の上に印刷された形になりますよ」

　去り際にそう教えてくれた朱音の言葉通り、ネタ帳を宙に掲げると、浮遊する中で明らかに遅くなった文字列があった。
（今だっ!）
　すかさず本に挟もうとしたその時、
「ねえ、こんなところに脚立なんて出して何してるの？」
　下を見ると、近くの席で写真集を眺めていた朝鳥さゆるが怪訝な顔をしている。
「いや、僕はただ上の本をとろうとしているだけだが？」
　無花果は急いでネタ帳を閉じると、適当な本を一冊抜きだし、下へと降りた。
「さあ、用事が済んだから脚立を返して来よう」
　わざとらしくそう云えば、さゆるは不審な顔をしながらもまた本に目を落とした。
「ま、いいんだけど」
　それを確認し、無花果は祈るような気持ちでネタ帳を開いた。
（無事戻ったか……む、いくつか開いている行もあるな）
　残った部分は柊斗に頼もうと、さゆるを気にしながら無花果は溜息をついた。

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