さながら神社内は格闘のコロシアムです。
　ときおり、投げの音が飛びます。つかみ合う息づかいが聞こえます。結果、閑かな境内がなんとも殺気立っているのです。
　無論その発端は辻投げ犯なのですが、戦いの噂を聞き空気を敏感に察知した腕っこきたちが、集まってきたことも大きい。
　その一人が七峯 亨なのでした。

　彼の参加動機はシンプル、物見遊山です。言い換えると「さァちょいとお祭りに参加してくるかね」という気分でした。といってももちろん見るだけでなく、実際に戦いに参加するつもり満点なのは言うまでもありません。同じ阿呆ならバトらにゃ損損！　というやつです。
　今日の昼に噂を耳にするなりいてもたってもいられなくなった亨は、なかなか暮れない九月の空をにらみながら夜を待ち、今こうして血のたぎった体で神社を訪れたのでした。
「ま……参った！」
　茂みの向こうから声が聞こえてきました。どうやら一勝負ついたようですね。そっちへ参加して勝者と当たってもいいのですけれど……。
「うん？」
　ですが亨は、月に照らされた鳥居の前でハタと足を止めました。
　グランドで一対一、でやりあっている姿が見えます。
　よく見ると近くにあと一人、柔道着姿の男が大の字になって寝ているのも見えました。気絶しているあの男……猪のように固太りした男が倒され、残る二人が雌雄を決しているところ、と思って間違いありますまい。
　ですがその決着もついたようです。
「ううー……うッ！　はわ～」
　なんとも苦しそうな、それでいて妙に幸せそうな声を上げて、新江天懸は締め落とされてしまいました。
　勝者はすっくと立ち上がりました。ずいぶん小柄です。亨と比べると頭一つ分以上小さい。体躯も華奢なようです。けれどもそれでいて、がっしりしたあの男（天懸）をグランドで制したのです。ただ者ではないでえしょう。
　雲間に月が隠れているせいか、相手の姿はよく見えません。それでも、亨はニヤっと笑って声を上げました。
「よっ、いい夜だな、辻投げ野郎。それとも、あんたが辻投げを撃退したところか？」
「辻投げだ」
　相手は、わざと低くしたような掠れ声で返事しました。
「そいつは良かった！」
　小躍りしたいくらいの亨なのです。
「俺はその辻投げを狩りに来たんでね。手合わせ願おうか」
　このとき月光がさしました。『辻投げ野郎』の姿が見えます。
　相手は、辻投げなる無骨な名称にはおおよそ似つかわしくない、すらっとした体躯でした。
　肌は健康的に日焼けして、夜のように黒く長い髪を頭に束ねています。やや吊り目で眼光は鋭いのですが、顔立ちはとても整っており、はっとするほどの美少年でした。鋭い顎のラインも印象的で、女性服を着ても似合いそうです。年の頃は亨と近いあたりでしょう。もしかしたら年下かもしれません。
「望むところ」
　辻投げは両脚を開き、左半身を前にする構えを取りました。軽く開いた手を前方に突き出します。
「……空手か。流派は？」
「我流。投げも使わせてもらう」
「気に入った！」
　ぱっと亨は諸肌脱ぎになりました。
「これで投げも、得意の締めも使いにくいだろうさ。掴めねェってのは無しだぜ。C’mon，boy！」
　最初に仕掛けたのは少年辻投げです。
　無言。
　突きを繰り出します。おそらくはフェイント、けれど亨はあえて乗りその腕を取ろうとして、
「チッ！」
　逆に裸の腕を捕まれていました。少年なのにすごい握力です。ぐいと引いてしかも捻ってきます。
　血流が止まりそうなその状態を、亨は体重をかけて逃れるも、
「セイッ！」
　今度は本気の正拳突きが来ました。甲高い声でした。もしかして少年は、変声期がまだ終わっていないのかもしれません。亨はサンドバッグではない、反射的に身を反らせ拳を肩口で受けます。
「……つっ！」
　鉄球をぶつけられたよう。
　ダメージは減らせましたがそれでも、かなり重い一撃でした。骨が痺れるようです。
　しかもここから、亨は転がって逃げることを余儀なくされました。少年が爪先からの蹴り、いわゆる『ヤクザキック』を繰り出してきたのです。少年が稽古着姿ながらスニーカーを履いているのは、きっとこの蹴りの威力を増すためでしょう。
　――えげつないことしやがる！
　正当な空手の試合ではまず禁じ手の蹴りです。一瞬、亨は呼吸ができなくなりました。まともに入って肋骨がメキッと音を立てたのです。威力が大きいのは、亨が諸肌脱ぎになって防御力が落ちたせいというのもあります。
　――だがますます気に入った！
　えげつない攻撃にはこちらもえげつない返し、亨は地を這ったままぐるっと回転して、辻投げ少年に足払いを噛ませました。鎌で刈るような軌跡が奔ります。
　かかりました。
　少年は宙を泳ぎましたがただでは転ばない。倒れる拍子に地面をさらって、その手をぱっと広げすくい投げました。石畳の上の砂をぶちまけたのです。
　目つぶし、なんとダーティな戦いかたでしょうか。道着こそ来ていますが少年は、ストリートあがりのファイターなのでしょう。
　亨は少年から距離を取り、少年も間合いを広げました。
　あらためて対峙します。
　亨も顔にはちょっと自信がありますが、少年の美しさもかなりのものです。あれだけ死闘を演じて土にまみれ汗もかいているはずなのに、その顔の鮮烈な印象はまるで変わっていないのでした。いやむしろ、上記して血の気が高まったことで、ますます魅力的になったといっていい。
　――黒い狼だな。まるで。
　ふとそんなことを亨は考えました。
　そのコンマ数秒後にはもう、亨の体は跳んでいます。突撃からの飛び膝、
「なに！？」
　少年が変声期前みたいな声をまた上げました。
　それは予想外のことが起こったからでしょう。
　消えたのです。亨の体が。
　跳んだ亨は同時に『縮身』の能力を発動させ、少年の頭上を飛び越えたのでした。
　そして着地するやこれを解除、背後から少年の腰に両腕をガッチリ回してホールド、そして弓なりのブリッジから……投げっぱなしジャーマン！　打たれた肩と肋が痛みますがこらえてしっかりと投げきります。投げた拍子に、少年の道着の帯が解け亨の腕に残りました。
　どっ、と音がしましたがこの状態からすれば軽い音です。つまり少年が綺麗な受身を取ったということ。それでもノーダメージとはいかないはずです。ぱっと亨は振り向いて、
「よっ美少年。これに懲りたら……てお前、身体のライン…え！？」
　絶句しました。
　自分が戦っていた相手が何者か、ようやくわかったのです。
　少年は、『少年』ではありませんでした。
　道着の下には、きつくサラシを巻いた胸がありました。
　腰は、柔和なラインを描いてくびれていました。
　解けた髪が、長く広がって肩にかかっていました。
「女じゃねぇか！」
「だったら悪いか！」
　亨に数倍する声で、辻投げ少女は声を上げました。
　とすると妙に色っぽいところも、高い声も説明がつきます。
　なお、新江天懸がほとんど抵抗もせず彼女に絞め技を食らい、なんとも幸せそうに悶絶したのも、そのあたりに理由があったりします。
「おいお前！　さっきの不思議な技はなんだ！　教えろ！」
　まったく可愛げのない口調で少女は、怒りに燃えた眼で亨を指さしています。
「いやそれは……あと、俺は『お前』じゃなく七峯亨って立派な名前がある！」
「お前の名前なんかどうでもいい！　教えろ！」
「こっちが名乗ったんだからそっちも……」
「詠宏美（うたい・ひろみ）だ！　とっととさっきの技の秘密、教えやがれ！」
「そういうわけにはいかねえ！　っていうか、俺は女の子を殴ったり蹴ったりできん！」
　こうなっては仕方ありません。「あばよ！」と言い捨てて亨はきびすを返すのですが、
「逃がすか！」
　教えろ！　と少女は怖い顔（でも、はっきり言って亨の好みのタイプの美少女なのです）で追ってきました。道着の上半身はもろ脱ぎ、下着といってもサラシだけという、どうにも刺激的な格好で！
「うわー追ってくんじゃねー！　ってか服を着ろ－！」
　これはたまりません、亨は縮身を使って草むらに隠れます。
「どこ行きやがった！」
　そこを、巨人になった宏美が、きょろきょろと探し回るのです（といっても相対的にそう見えるだけで、実際は亨が縮んだだけなのですが）。
　身長1センチになった亨にとっては、これは命にかかわる脅威といえましょう。
「攻守逆転、踏まれる立場になるとは……場所移すか、女の子でも鋼鉄の足裏は御勘弁……」
　さてどうやって逃れたものかと、亨は頭を悩ませるのでした。
　それにしても詠宏美――また会いたい気がします。今度は、こんな状況ではないときに。