秋の日の海は、なんだかとても水色で｜リアクション

秋の日の海は、なんだかとても水色で

　深林真瞭にとっては、数ヶ月ぶりの日本です。
　まず、真瞭の職業について説明しておきましょう。彼女は某有名交響楽団にて、第一ヴァイオリンとコンサートマスターを務めています。当然その道では知られた存在で、ソロ名義で数枚のＣＤもリリースしているほどです。演奏旅行で国内外を飛び回っているため寝子島には不在がちであり、つい先日までにしたところで、欧州を回る演奏旅行に出ていたのです。
　そのため彼女は忘れていました……この国の蒸し暑さを。
　カッと照りつける太陽、それに加えてものすごく、密度の濃い空気。屋外で立っていれば、それだけで汗だくになりそう。これで九月中旬だというのだからちょっと信じがたい。高温であっても基本、乾燥気味のヨーロッパとは体感温度が桁違いです。
　このため真瞭は帰国早々バテてしまって、せっかくの遅い夏休みだというのに、ろくに出かけることもできませんでした。
　加えて今年、真瞭には多忙な日々が待ち受けていました。長い演奏旅行が終わったばかりだというのに、寝子島での夏休みはこの数日だけで終わりなのです。所属楽団の秋の公演を控えているので、明日からはリハーサルのため東京へ戻らなければなりません。
　この寝子島ですらたいがいなのに、コンクリートジャングルでヒートアイランドな灼熱のトーキョーシティーへ……考えるだけでぐったりしそうです。
　ですがいつまでも、へばっているわけにはいきません。そろそろ国内モードに切り替えるべき時期です。それに夏休みの実質最終日、家におこもりしているのは勿体ない。
「今年はロクに海にも行けなかったわねえ……」
　と真瞭は、浜辺に出かけたのでした。
　サングラスをかけビーチバッグを手に、サマーハットとエスニック柄のマキシワンピースにサンダル履きという軽装で、ほとんど海水浴客のいないビーチをのんびりと歩きます。
　けれどもやっぱり暑い本日です。　残り火のような夏の日差しは案外しぶとく、わずかに砂浜をゆくだけで少し汗ばんできました。
　そこで真瞭はほどよい場所で、バッグの中からレジャーシートを取り出して広げます。
　さっと広げれば約二畳分、これを悠々と伸ばして場所を確保して、
「人もいないことだし……」
　と、いきなりマキシワンピースを脱ぎ出しました。
　おっと、いくらなんでも屋外ですよ大丈夫……というご心配はここまでです。
　ワンピースの下からいでましたるは、目にも鮮やかなパライバブルーのタイサイドビキニでした。
　――今年中に着られて良かった。
　これは、真瞭にとってはようやく日の目を見た『夏の買い物』です。
　今夏の演奏旅行中、たしかギリシャで買った水着でした。ホテルのプールで泳ごうと思って用意したものの、結局その機会もないままお蔵入りしかけたので、こうして夏のうち（？）に使うことができてなによりでした。
　サングラスはもう脱いでいます。
　腰に手を当て、無闇に胸を張ってみます。
　するとなにやらダイレクトに夏が、自分の肌に突き刺さってくるような感覚がしてくるではありませんか。
「まだまだ私の夏は終わってない！」
　声を大にして言ってみましょう。
　もうそこにいるのは、御年二八歳のおしとやかな美人ではありません。フランスのクラシック誌に『東洋のビーナス』と書かれた淑女は今、サマーガールへと豹変したのです。今の真瞭に似合うのは、夜会服よりやっぱりビキニ！
　さあ、白く泡立つ波打ち際へ突撃です！
　くるぶしから膝、腰、そして胸の上にまで海水に浸って、感想の一言です。どうぞ！
「うわー、冷たい！」
　いや本当、冷蔵庫から出してきたばかりの炭酸飲料に間違って落ちたのかと、そんな錯覚におちいるほど、キンキンに冷たい海なのでした。
　でもいいんです。これぞ晩夏という気がしませんか。もう暦の上では秋ですが、真瞭のサマーは今が最高潮なのです。
　かくして真瞭はひとり、晩夏の海を存分に楽しむのでした。
　アマルフィ海岸よりコート・ダジュールより、はたまたコスタ・デル・ソルよりも、やっぱり寝子島、故郷の海が一番です。少女に戻った気持ちの真瞭は、イルカのように泳ぎ回って楽しみました。
　ひとしきり泳いだりした後は波打ち際で波に洗われつつ、太陽をぼんやり見ながら……そのまままどろみの中へ落ちていきます。
　そんな真瞭は夢うつつの境界のなかで、たくさんの藤の花びらが雪のように舞い降るのを見ました。
　夢でしょうか。
　夢でしょうね。
　だとしても、素敵な夢には違いないのです。

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秋の日の海は、なんだかとても水色で

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