宵待ちに耽る｜リアクション

宵待ちに耽る

▽ヨルトソラ

　恵御納夏朝はまどろみの中にあった。
（少しだけ……）
　暑すぎず、寒すぎず、心地よい風に揺られる。
（すこし、だけ……）
　窓から差し込む赤い日差しが、ほんのりと肌を温める。
（すこ、し、だけ……）
　かすかに残った意識が、ハル君におやすみを告げた。
　そして夏朝の意識は沈んでいく。
「…………」
　それから三秒。
「……はぁ」
　夏朝はため息をついた。いいや、夏朝の代わりに目覚めた夏夜がため息をついた。
（……夏朝が寝た途端に何で『僕』が表に出てるの）
　不満気に、夏夜は夏朝を眠りに追いやった空を見上げる。
　その空を見ていると、何故か夏夜は思考の海へ沈んでいく。
（他の事した方が、能率的なのに……）
　それに気がついて、どうしようもなく夏夜は苛立っていた。
　沈みたくないと、夏夜はもがいた。もがいてもがいて空を目指した。
　けれど、空に届くどころか、海から上がることもできそうにない。
（何故だろう……）
　わからない。
　ただ、どうしてか考えに耽りたい気分だった。
（……仕方ない）
　夏夜は夏朝と同じように目をつむった。
　こうして夏夜の脳裏で、自身の生まれた理由、存在理由――夏朝の望みが巡っていく。
　中学校生活の前半のことだった。
　毎日。毎日。　夏朝は『いじめ』に耐えていた。耐え続けていた。
　そのぼんやりとした映像が、記憶が波となって襲ってくる。
（う……）
　夏夜は眉をひそめる。そうしてかすかにでも身体を動かさなければ、海で溺れそうだった。
　その波をどうにかやり切ると、中学一年生のの夏がやってくる。
　その時期。
　夏朝は『あいつら』のせいでふたつの大事な存在を永遠に喪った。
　ひとつ。
　それは母の胎内で育まれつつあった『弟』。
　生まれることなく、人間と認識されることなく、彼は喪われた。
　ひとつ。
　それは小学校の頃から夏朝と共にあり、夏朝を守ってくれた『白猫のお守り』。
　人形の魂を信じ、その魂を人の魂と同等に貴ぶ夏朝にとって、そのお守りを喪ったことは、あまりにも悲しかった。
　それもただ喪ったわけではない。
　どちらも無残に『殺された』のだ。少なくとも、夏朝はそう感じている。夏夜もそう感じている。
『ふたり』を同時に喪った。
　その衝撃が再び夏夜を襲う。痛みに耐え切れず、夏夜は目を開けた。
「はぁ……はぁ……」
　夏朝の底に溜まり過ぎた、黒い心。憎悪、悲哀、自責、復讐心、エトセトラ、エトセトラ。
　それらが集積し、夏朝からわかれて――。
（僕……『夏夜』が生まれた……）
　それが夏夜が生まれた理由。
　そして、生まれてすぐに夏夜は自身の存在理由を理解する。
（夏朝や夏朝の大事な存在に害をなす輩、『敵』を慈悲なく残酷に始末するのが、黒い心の塊である僕の望みだった。
　黒い心と忌まわしき記憶をすべて引受け、夏朝に一切思い出させず、幸せに過ごしてもらう事が防衛人格でもある僕の望み、だった……）
　そう。『だった』。
（……夏朝は、思い出す事を望んでいる）
　思い出して『夏夜』と過去に向き合う事を、望んでいる。
（それに、夏朝は、未来を見た。そして残酷に対処する僕を、僕の在り方を、恐れた）
　それを自覚し、理解すると胸が痛む。
　胸が痛むのは哀しいから？
……いっそ、そんな利己的な感情であれば、対処は簡単だったのに。
（夏朝の望みは叶えたい）
　夏夜はあくまでも、夏朝のことを願っていた。
（けど……）
　だからこそ。
「……思い出してほしく、ない」
　ようやく声になった言葉は、思った以上に弱々しい。
（もし、思い出せば……夏朝は、壊れるかもしれない……）
　その、可能性が怖かった。
　ならばどうすればいいのか。
　夏朝の望みは、夏夜の望み。けれど夏夜は夏夜で夏朝を守りたいという望みがある。
　日が沈み、月が出ても……答えは出ない。
　そのまま意識は深い海に沈んでいく。
「う……寝ちゃってた……？」
　夏朝の意識が浮かび上がってきた。