宵待ちに耽る｜リアクション

宵待ちに耽る

▽アキノソラ

　日が落ちきってしまう前に、伊賀解理は猫鳴館を出た。
（最近、寒くなってきたと思ったら……もう秋か）
　寮の中は夏は夏で地獄だが、寒くなったら寒くなったでつらいものがある。
　こういう時、ふと他の寮だったらと夢想することはあるが、だからといって他の寮へ移ろうとは思わなかった。
　理由は、解理自身よくわかっている。
　解理はよれよれになった白衣の襟を引き寄せた。そうしたところで寒さはほとんど変わらなかったが、ささやかな抵抗だった。
（……空が高いな）
　夏の頃の澄んだ表情とはまったく違う。ほんの一週間でこんなにも表情が変わるのか、などと解理は冷静な目で空を見つめる。
（また、すぐに変わるのだろうか。統計データが気になるところだが）
　先人は言った。女心と秋の空は非常に移ろいやすいと。
　まるで今の解理のことを揶揄しているようだ。といっても、解理の心は空ほど移ろいやすくはないのだけれど。
　だからこそ、解理は今の寮を出る気にはなれないのだから。
（女心と……か）
　なんだか面映い。はたから見れば、夕焼け空に染まっているようにみえるだろうということが、解理にとっての救いだった。
　解理が思い出すのは、『彼』のこと。
『彼』は同じ寮の同級生だった。
　いつもふらりと出かけては、いつの間にか帰ってきている。
（……よくよく考えずとも、学生の立場としては色々ツッコミどころ満載な行動だな）
　解理は苦笑をこぼす。
　しかし不思議と『彼』の行動を咎めている光景は、見たことがなかった。
（その辺りは『彼』の性格ゆえだろうか）
　彼の性格は一言で言えば優しい。二文で説明するのならば『彼』は誰にでも同じように親しく接する。そして同じぐらい誰にでも優しい。ということだろう。
（……僕に対しても例外じゃない）
『彼』は間違いなく、解理にも優しかった。
（それに関して不満は……あるといえばある）
　不満の理由は明白だった。
（なにせ……僕は『彼』の事が好きだ）
　既に自覚していることだ。けれど改めて認識すると、どうしようもなく恥ずかしくなってくる。
　それでももう一度繰り返す。
（僕は、『彼』が好きだ）
　無論、異性としてという意味で。
　きっかけは一つではないだろう。けれどやはり一番の理由は優しくしてくれた事だった。
（我ながらチョロイ女だな、僕は）
　その癖、誰にでも優しいということが気に入らないのだから、秋の空と同列視されても仕方ないのかもしれない。
（それでも、好きになってしまった以上、僕以外の女子と仲良くしてるのをあまり見たくない）
　そう思うことも仕方がないことだった。
（……ほんの少しでいいから僕だけには普段見せない姿も見せて欲しい）
　ただの我儘なのだろう。それも解理は理解している。
（そうだ。『彼』とはただの友達同士でしかない僕に言う資格はない）
　ならば恋人になればいい。あるいは、片思い中という立場になればいい。
（そりゃぁ、できればこ、恋人同士になりたいけど、）
　けれどそこへ踏み切れば、友達という関係には戻れなくなってしまう。
（今の関係が壊れるのも……怖い）
　いずれ答えは出さなければならない。解理は友達であることを選ぶのか、あるいはその先に踏み出すのかを。
（でも今は……そういうの抜きにして『彼』に会って……頭を撫でてもらいたい）
　会う度に、『彼』は解理の頭に手を置く。
　少なくとも解理がそう感じるほど、『彼』はしょっちゅう解理の頭を撫でる。
　いやらしさのない、軽い接触だ。
　その温もりが、くすぐったい。嬉しい。恥ずかしい。苦しい。
（正直あれは結構……嫌いじゃ、ない）
　白昼のもとで考えこむには、あまりにも気恥ずかしいことだった。
　夕方と思えば幾分かマシだったが……それでも、できれば夜に月でも眺めながら、ひっそりと考えたいことだ。
（……もう少しだけこうしていよう）
　解理はゆっくりと歩き出す。
　まだ目的地はない。

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