８月の★ハッピーバースデー｜リアクション

８月の★ハッピーバースデー

　参道商店街の一角にこじんまりとした定食屋があった。戸口には『臨時休業』の札がぶら下がっていた。道行く人が時に店の前で足を止める。耳を澄ますと鼻歌のようなものが聞こえてきた。
　店の中では幼い顔立ちの鬼崎つくしが額に汗して動いていた。移動が可能なテーブルやイスを小さな身体で壁際に押しやる。中央には一つのテーブルと向かい合わせに置いたイスが残った。
「少し広く見えるのです」
　白い割烹着のつくしは腰に手を当てた。隅々にまで青い瞳を向けてにっこりと微笑む。
　つくしは割烹着を脱いだ。ピンクのワンピース姿になって自分用のイスに座った。長い銀色の髪を左右に揺らしながら戸口の方を見る。テーブルには相手を華々しく迎える為のクラッカーが置いてあった。
　その一つをじっと見ていると、俄かに表情が曇る。
「……ちゃんと飛び出るよね？」
　見れば見る程に不安が募るのか。つくしは一つを選び出した。天井に向けると細い紐を摘まんだ。限界まで引っ張ると、パンと乾いた破裂音がして紙吹雪が舞い落ちる。同時に飛び出した七色の紙テープが緩やかな放物線を描いて下降した。
　成功に喜ぶ表情が店の時計を目にして焦りへと変わる。
「早く片付けないと、鉄さんが来てしまいます」
　箒を手にしたつくしは飛び散った残骸を必死で集めるのだった。

　全ての準備が整った。手作りのケーキがテーブルの上に置かれた。縁を丸く囲むのは大ぶりで瑞々しいイチゴであった。中央の生クリームの生地にはチョコレートで文字が書き添えられていた。『Happy Birthday　時尾』と温かみのある筆致に二人の良好な関係が垣間見える。
　その時、店の電話が鳴った。つくしが出ると相手は今日の誕生日の主役、鉄時尾であった。たどたどしい口調で約束の時間が守れないことを告げてきた。
「鉄さん、慌てなくてもいいですよ。はい……そうですね。人に接してもあまり緊張しないで。はい、ちゃんと待っています」
　受話器を置くと、つくしは自分のイスに座ってケーキをぼんやりと見つめる。
「鉄さん、少し心配です。人見知りですから」
　声に出したあとで少し笑う。私もでした、と付け加えた。つくしは時尾との初めての出会いに思いを巡らせた。
　つくしが家族と一緒に店番をしていた時、時尾は怯えるような表情で入ってきた。その状態で立ち尽くして戸惑うような視線を方々に向ける。
「ここ、どうぞ」
　つくしは目を合わせないで席を勧めた。時尾は俯いた姿でイスに座り、ぎこちない動作で礼をした。
　つくしは仕事の合間に時尾の様子を盗み見した。同じ姿勢でずっとメニューを見ていた。少し顔を上げると周囲に縋るような目を向ける。口を開いても声が出ない。
　唇を強く結んだつくしが思い切って近づいた。
「あの！」
　上げた声は同時で、お互いに驚いた顔をした。自然に起こった笑いが、その場で二人を結び付けた。
　戸口が開く音がして回想は打ち切られた。つくしは溌剌とした表情で立ち上がってクラッカーの紐を引っ張った。
「鉄さん、お誕生日おめでとうございます」
　つくしは少し驚いた顔の時尾を笑顔で出迎えた。すぐに手を引いてイスに座らせる。
「このケーキは鉄さんの為に私が作りました。口に合うかはわかりませんが、遠慮しないで食べてください」
　灰色の瞳を潤ませて、はい、と小さな声を出した。つくしはふわりと舞い降りるように可愛い後輩を抱き締めた。
「島の中学校には、帰国子女や留学生が多くて、戸惑うこともあるかもしれないけど、普通の学校ですよ。あなたが心配するような怖いことなんてないから……」
　頷く頭をつくしは優しく撫でる。
「私が守ってあげます。困ったことがあったら頼って」
　何度も頷いた時尾は最後に、ありがとう、と小さな声で返した。つくしは軽く背中を叩いて離れた。
「楽しい二人だけの誕生日会を始めましょう」
　つくしの最高の笑顔に時尾の表情も輝き始める。