みんなの秘密基地｜リアクション

みんなの秘密基地

　穴の中を飛吹勘助が怖々と覗く。ボサボサの前髪に手櫛を入れ、青い目で奥を見た。
「……本当に海があった！　もふもふにも見せてやろう」
　円筒形のショルダーバッグの上部を開けると白い膨らみが迫り上がってきた。二本の垂れた耳が現れてアンゴラ兎のぬいぐるみが顔を出す。
「もふもふ、行くよ」
　勘助は薄く生えた口髭の汗を指で拭った。二メートルに近い穴の天井を気にしながら歩を刻む。最後の一歩は跳んで抜けた。
　三十路の見た目が一気に若返り、高校一年生らしい笑顔となった。
「女の子の話の通りだ。なんて綺麗な海なんだ……」
　笑顔のまま、勘助は歩いた。一歩ごとに砂が鳴く。
「砂浜も綺麗だ。海の中はどうなんだろう」
　穏やかな海面に見惚れたような瞳を向ける。立ち止まったところにバッグを下ろし、勘助は海と対面した。
「……海には何がいるんだろう。どんな魚が泳いでいて、どんな物が潜んでいるんだろう」
　海への興味は尽きることがない。勘助は着ていたオレンジ色のＴシャツを脱いだ。均整の取れた筋肉が露わになった。首から下げた青いシーグラスの玉が胸元で輝く。最後に七分丈の茶色のズボンを脱いだ。
　勘助は堂々とした態度でボクサータイプのスイムパンツ姿となった。青地で片側に金色の太い縦線が入っていた。重なるように描かれた、しなやかな曲線は波を思わせる。
「あの海には……」
　引き寄せられるような一歩で勘助は我に返った。バッグからぬいぐるみを取り出し、その奥に寝そべっていた水筒を引っ張り出した。
「もふもふは海が良く見える特等席だ」
　ぬいぐるみをバッグの横に座らせた。勘助は手にした水筒を飲む前に後ろを振り返る。視線をぎこちなく左右に動かして安堵の息を吐いた。
「海の探検に出発だ」
　勘助は海の中を歩いた。腰まで浸かったところで立ち止まり、水筒を逆さまにして一気に口の中に流し込む。勢い余った清水が口元から零れた。
　飲み終わると瞬時に水筒を後方に投げた。縦に回転しながらバッグの側の砂浜に突き刺さる。
　その時、勘助は海面を跳んでいた。肩や腕に掛けてトルマリンブルーの煌めく鱗を纏い、波飛沫を上げて海中に没した。両足は完全な尾びれとなって強烈な推進力を生み出す。
　飲料水を一気に飲むことでろっこんが発動したのだ。海の住人、Mermanへと変身を遂げた勘助は光の柱が聳える海の神殿に笑顔で突っ込んでいった。
　宝飾を施されたような小魚が群れをなして泳いでいる。寄り集まった姿は巨大な龍の姿となって雄大な動きを見せた。
　感激した勘助は両頬に手を当てて、うっとりした目で近づいた。瞬時に統制が失われ、小魚の姿に戻ってしまった。
　しょぼくれたように失速すると別の群れが合流した。白い流線型の身体はイルカのように見える。彼等は愛嬌のある黒い瞳で甲高い声を上げた。中心にいた勘助は驚きながらも微笑んだ。
　彼等は横に回転しながら泳いだ。勘助が真似をすると、喝采にも似た声が周囲から上がった。
　気を良くした勘助は海底に向かう。付いてくる彼等を目にして一気に浮上を開始した。煌めく海面が壁のように眼前に迫る。
　勘助は頭から突っ込んで海上に飛び出した。彼等は白い月のような格好で青い空を舞う。
「みんな、ありがとう！」
　名もない海で勘助はイルカとの共演を果たした。

このページにイラストを設定する