ゆら、ゆらり、と海の月｜リアクション

ゆら、ゆらり、と海の月

◯夕焼けシーサイド

　夏は日中が長い。その太陽もゆっくりと海の寝床に沈もうとしていた。
「にゃにゃにゃがおー！」
　その海辺に元気に満ちた声が響いた。
「がおー、荷物番よろしく頼むのだー」
　後木真央は真っ赤に染まった海を漂っていたのだ。胸にはサラシ。腰元はふんどし。日差しを防ぐのは猫の手印のキャップ帽。そんな装いの彼女は、大きな、身体の小さな真央には大きすぎるくらいのドーナツ型の浮き輪の上に座り、燃える海を眺めていた。浜辺では真央に呼び出された三毛猫『がおー』が大人しく荷物番をしている。
「今日はとにかく暑いのだ～。夕焼けギリギリまで眺めて、１５分で着替えて、バイトに向かうのだ！　きっと間に合うのだ！」
　がおーはそんな真央の言い分を聞いているのか、聞いていないのか、ただ荷物の側に佇んでいる。
　そうして真央が『夕焼けを眺める会』を単独で敢行していると――
「こんにちはー、真央さん！」
「おお、もしかして智瑜ちゃんなのだ！」
　実家の青果店の配達帰りなのか、宮祀智瑜の声がかすかに聞こえてきた。姿ははっきりとは見えないが、智瑜だろう。夏らしい白いワンピース、薄茜色に染まっている。
「私もお邪魔してもいいですか？」
「もちろんなのだ、一緒に夕焼けを眺める会に参加するといいのだ！」
　こんな暑い日に配達なんて大変そうなのだ。真央はそう思いながら、智瑜が海に入ってくるのを眺める。靴と靴下を脱ぎ捨て、裸足で肌色の砂浜の上を、一歩、一歩、進む。橙色の水にワンピースからすっと伸びた脚を浸すと、智瑜は冷たさに笑みを漏らした。
「冷たくて、気持ちいいですねー！」
　心地よさそうに、くすぐったそうに智瑜の声が波間を跳ねてくる。ひとりよりもふたりの方が楽しい。違う、がおーも嬉しそうにしているから、ふたりと一匹だ。そんな風に真央は黄昏時を満喫していた。
　その刹那。
「うぉ、なのだ！？」
　唐突に真央の身体が浮き輪の上をすべった。
「真央さん、大丈夫ですか？」
　どうにか輪っかに足が引っかかり、海に沈むことはなかったが、けれどどうしたって身体に力が入らなかった。
「なっ！？」その上、「人間海蛍状態なのだっ！？」と水に使っている腰やお尻はぼんやりと発光している。だからと言ってなんの害もなかったけれど。けれど動くことはやはりできない。
「今、助けに行きますねッ……！」
　そう息巻いていた智瑜も「きゃ！」と小さな悲鳴を上げて、浜辺に倒れこんでしまった。
「智瑜ちゃん、大丈夫、なのだ？」
「えっと……は、はい」
　飛び跳ねていたはずの声がすっかりと弱々しい物に変わってしまった。
　これはまずい。真央は、どうにか力を振り絞って浜辺に向かう。けれどさっきまでは心地よかった穏やかな波さえも、今の真央にとっては強敵で。真央がどうにか浜辺に半身を投げた時には、全身砂で傷だらけだった。
「にゃにゃにゃがおー！　スマートフォンぷりーずなのだ！」
　がおーは一度姿を消してからふたたび現れた。そしてスマートフォンを口に咥え、ぽてぽてと真央の元まで歩み寄り、
「ありがと、なのだ」
　震える指先でどうにかバイト先の番号を押して、「後木なのだ今日バイト休ませてくださいなのだ神魂事件に巻き込まれたっぽくて立てないのだ～」と告げる。バイト先の人の多くがもれいびゆえに真実を告げる。それが功を奏したのか、どうやら、同じような症状にかかった人が大勢いるらしいことがわかった。
　やっぱりきっと神魂の影響だ。そう結論づけた真央は海に視線を投げた。
　真っ白なワンピースを着てぷかりぷかりとたゆたう智瑜。もうずいぶん遠くまで流されてしまった。
「きっと、なんとかなるのだ」
　このまま波打ち際で、貝殻と砂に揉まれるよりは、智瑜と一緒に海を漂う方がいい。
　真央はせっかく浜辺に逃げてきたというのに、連絡を済ませるとすぐに波に身を委ねてしまった。

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