夜のお散歩｜リアクション

夜のお散歩

　寝子島マリンパラダイスを堪能した御剣刀と橘千歳は旧市街まで帰ってきた。横に並んで歩く二人は共に身綺麗な格好をしていた。
　ぎこちない笑みを浮かべた千歳が正面を向いた姿で言った。
「思っていたよりも明るいね」
「晴れたのがよかった。それでも夜道の一人歩きは危険だ。俺が家までちゃんと送り届けるよ」
「そうね、ありがとう」
　小さい感謝の声を出し、千歳はちらりと隣に目を向けた。刀と目が合って露骨に逸らしてしまう。手を否定で強く振った。
「あの、違うから」
「わかった、違うんだな」
　刀は顔を逸らすようにして前髪に手を入れた。頬の熱さを自覚しているのか。横手のシャッターが下りた店を熱心に見つめた。
「足音なのか？」
　刀は急速に近づいてくる音に反応して正面を向いた。横の通りからすばるが飛び出し、アミを振りながら二人の方に走ってきた。
「刀っち、やる時はやるねー」
「新井、誤解だ。まだ俺は何もしていない」
「な、何かするつもりなの！？」
　身構える千歳に刀は顔を赤くして、違うんだ、と力を込めて否定した。
「なんかボクはお邪魔みたいだから、またねー」
　すばるは笑顔で早々と離脱した。
　残された二人は態度を決め兼ねた。妙に落ち着かない様子で刀が話を振った。
「あのさ、送り届ける俺がこんなことをいうのもどうかと思うけど、寝子島神社に寄って行かないか」
「……いいわよ。私も少し涼みたいと思っていたから」
　少し赤い頬をした千歳は掌で顔を扇いだ。
　神社に続く石段が見えてきた。二人は不思議なものを見るような目になった。
「毎朝、剣の練習で通っているのに夜だと雰囲気が変わるよな」
「本当に、そう。稽古で見慣れた場所がなんとなく冷たく感じるわ」
　二人の距離が近づいた。寄り添うような姿で境内に揃って足を踏み入れた。
「誰もいないな」
「そうみたいね」
　千歳は周囲を気にした。繁みの一角に立つ、真新しい看板を見つけた。危険を強調するかのように『痴漢注意』と赤文字で書かれていた。
「こんなところにも痴漢が出没するのね」
「ああ、そのようだな。でも、大丈夫だ。俺が側に付いている」
　刀は安心させるかのように拳を固く握って見せる。その手に千歳の目が引き寄せられた。
「そ、そうよね。刀くんが近くにいれば、なんの心配もいらないわね」
　何かを思い出したかのように上ずった声を出し、千歳は自らの足で離れていく。動悸が激しいのか。左の胸に自分の手を強く押し当てた。その手をじっと見ていると、表情に恥ずかしさが滲み出て、堪え切れない様子で引き剥がした。
　千歳は砂利道を踏み締めて強引に進んだ。サンダルの高めのヒールが中程まで埋まって上体が不規則に揺れている。突然の行動に戸惑いながらも刀は後ろから付いていった。
　予感はしていた。千歳の右のヒールが埋没して上体が前に倒れる。刀は一足飛びで背後から千歳を支えた。
　刀が回した右の掌に膨らみが収まる。まさか、という表情で強張った。
「……また、胸を触ったわね」
　千歳の低い声で刀は瞬間的に飛び退る。
「ち、違うんだ。いや、違わないが違う。わざとじゃないんだ」
　千歳は振り返った。不機嫌そうな顔で視線を逸らし、早口に言った。
「バカタナ、ありがとう」
　また背を向けると、今度はゆっくりと歩き始めた。刀が黙って見ていると声が飛んできた。
「側にいてくれるのよね」
「もちろんだ」
　駆け寄った刀は千歳と並んで歩いた。境内を一通り見て回る。
「星が綺麗に見えるわね」
　立ち止まった千歳が空を見上げた。遅れて刀も眺めた。
「綺麗だけど、遠いな」
　刀は空に向かって手を伸ばし、煌めく星の一つを握り締める。胸元に引き寄せて掌を開くと、そこには何もなかった。
「そうかもしれないわね」
「もう少し、一緒にいてくれるか」
「別に、いいけど」
　千歳は俯いて言った。横目で刀の右の掌を見た。だんだんと顔が赤らんでくる。目まで心なしか潤んできた。
　その様子を上から窺っていた刀の頬も少し赤くなっていた。微かな息を吐いて星に目を移す。
「本当に遠いな」
　刀は万感の想いを口にした。

　静かな寝息を立てているところにすばるが帰ってきた。足音を忍ばせて近づいていく。
　半端な距離で足が止まってしまった。お兄ちゃん、と寝言の上に寝返りを打たれたのだ。
「起きてないよね？」
　すばるの声にいびきで返した。瞼は閉じられたままなので、細心の注意で近づいて枕元に近いところに虫かごを置いた。
　少し速足で引き返し、すばるは背後に顔を向けた。変わらない寝息に表情を緩ませ、髭の無い顎を手で撫でる。
「夏だけど、ムシーイッパイイマース」
　少し苦しい駄洒落のあと、ウインクをして部屋を出ていった。

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