こびとになっちゃった！～隠れ里に遺された落神伝説～｜リアクション

こびとになっちゃった！～隠れ里に遺された落神伝説～

●夏の泥の池１

「『神魂』とは不思議なエネルギーで、その影響で寝子島に色々なことが起きているようだ。
　その神魂の影響で不思議な力を使えるようになった人のことを『もれいび』、
　もれいびが持っている不思議な力を『ろっこん』と呼ぶんだ」

　鷺守昴がそう説明すると、時枝香苗はようやく合点がいったという顔で肯いた。
「……なるほど。とても安心しました……自分の方に何らかの異常があるかと思って……」
「そうか、君は神魂のことを知らなかったんだね」
「ええ。でも分かってしまえば漫画のようで面白いですね。わくわくします」
「それはよかった」
　偶然出会った古書店《月暈堂》の息子と、店の常連。ふたりはあたりを散策し、小枝を拾い集めていた。泥の池を渡るのに、筏を作ろうというのだ。

　ボス猫に捧げるふたつ目の花は、濃い色をした夏の植物が生い茂る南の一角に咲いていた。背の低い雑草に囲まれたその泥の池は直径約１０メートル。茶色く濁った泥の中ほど、無数の円い葉に守られて、天上の華というにふさわしい薄紅色のハスの花が優雅に咲き誇っている。
　まるで神の御座のような光景の中、高らかに響き渡るのは財前華蓮の笑い声。
「おーっほほほ！　また不思議空間ですの？　私が解決して差し上げますわ！」
　で、何をすればいいんですの、と畑中華菜子を振り返る。
「泥の中に咲くハスの花を取らなければいけないアル」
「どうやって？」
　華菜子が自分のアイデアを語ると。
「ふむふむ、賛成ですわ。なら準備を……ん！　あそこにいるのは剣崎さん！」

　華蓮が指差す先にいたのは確かに剣崎エレナ。
　用意なく泥の沼に入ったのか素足を泥だらけにして、ふたりの青年にハンカチを借りているところだ。
「ここで会ったが百年目！　これは剣崎さんも巻き込むしかありませんわね！」
　因縁の相手を見つけた華蓮のそんな決意を、エレナは知らなかった。

「まったく……夢とはいえ、この私の顔に泥を塗るなんて！」
　エレナにハンカチを貸したふたりの青年――市橋奏楽と市橋誉の兄弟は紳士的だった。
「大丈夫ですか」
「女性が泥だらけじゃ可哀想だ」
　他の女性たちと同じように、エレナだってこんな素敵な扱いを受けたら悪い気はしない。
　身なりを整えると淑女らしく微笑んで礼を言う。
「ありがとう。あなた方もあのハスを取りに行くつもりなら、どうぞ気をつけて。
　底なし沼とは言わないけれど、簡単に沈むようよ」
「そのようだな。だが、ひとつ試してみるよ」
　誉はそういうと、兄に取って来てもらった小枝で泥の上にピアノの鍵盤を描き＜奏でるもの＞を発動した。
「描いた鍵盤が、本当にピアノの鍵盤になるのか。凄いな」
「奏楽はここで待ってて」
　奏楽を守り切る自信がないから……その言葉を呑み込んで、弟は一歩踏み出す。
　鍵盤が沈み、ぽーん、とドの音が鳴った。
「描いた鍵盤を踏んで、続きを描きながら進めば……」
　ソラシド、と踏み、そこに留まって続きを書こうとした矢先のことだった。
「しまった！　鍵盤が沈む……！」
　悪くないアイデアだったが所詮泥の上。鍵盤は誉の重さに傾き沈み始める。
　バランスを崩し落ちた誉を、きつく掴む手があった。
「奏楽！　待ってろと言ったのに」
「誉が危険かもしれないのに待てるわけがないだろ。動くなよ。前に本で読んだことがあるんだ。
　泥沼はチキソトロピー……人が入って動くと液体のように軟らかくなり、力を抜くとまた固体のようになる。
　だから沈んでしまうそうだ。沈んだときは歩かずに泳ぐのがいいらしい」
　そういうと奏楽は誉の手を握り、岸までゆっくりと泳いだ。
　振り返り、振り返り、こんなときまで兄貴面をする奏楽。
　しかし……誉が嬉しくないと言ったら、嘘になる。