魂封じ｜リアクション

魂封じ

「何か変わった様子はあったか？」
　春巻空太は風雲児轟や楪櫻と共に、戻ってきた博美に駆け寄った。
　大き目のツナギの裾をまくって、目深にキャップを被った博美は本当に少年のようだ。
　キャップのつばを指で押し上げ、手の平はお手上げを示すように空に向いた。
「駄目だ。警戒されて、出てきてもくれなかったぜ」
「そうか、子供の様子を聞きたかったんだが」
　空太は考え込み、顎に手を当てた。
「効果の大きいろっこんは、それだけ条件が厳しいものだしな……」
「楪の言う通りだな。体に負荷が掛っていないか心配だ」
　生真面目な櫻は、特徴的なラインを描いた瞳を伏せ、空太と同時にうなだれた。
「えっと、俺は難しいこと、あんま分かんないけどよ。二人とも、決め付けるには早いぜ」
　轟の前向きな明るさは救いだ。
「ろっこんってフツウを守るためでなきゃ、あまり効果を発揮しないものだろ？　だから本当だったら、使うことで誰かが死んでしまうような使い方は、出来ないはずだぜ」
「そう言われてみれば、そうだな」
「人目があれば、効果も弱くなるものだしな……」
「さとみちゃんは大丈夫だ。いや」
　轟は、きりりと唇を結ぶ。
「誰かの願いを否定する事ほど、辛いものはねぇけど。あの家族を本当の意味で救うためにも、俺達がやれる事をやってやろうぜ！」

　一旦、皆と別れた月詠は、さとみへの社会的助力を得るのに大人の助けを借りるため、まず担任の泉竜次に事情を説明しようとした。
　しかし本日、泉は私用で学校から早々に帰っており、会うことは適わなかった。
　次に理解を求めたのは、音楽の津止孝道だ。
　廊下で呼び止められた朴念仁は、ただ黙って月詠の話に耳を傾けてはいたが。
「旅鴉は、物語を作る才能があるようだな。しかし下校時刻はとっくに過ぎている。近頃は変質者の噂も頻繁に耳にする、君も帰りなさい」
　そう答え、悠然と去っていこうとした。
「待って！　目の前の悲劇を、嬉々として描く芸術家はそういません。津止先生……これを見て」
　理解を得るためには、やむを得ないだろう。月詠のろっこん『絵空事』は、触れたものを絵として封じ込める。
　彼女はスケッチブックを取り出すと、手近にあった消火器をそれに触れさせた。
　写し取られた赤が、紙面を色鮮やかに彩る。
「む……？」
　津止の眉が、ぴくりと上がる。しかし次の瞬間。

　――ゴッ！

「あ……」
　赤は滑り落ちるようにスケッチブックから弾かれ、半円を描いて転がった。
　津止が目頭を指で押さえ、月詠は説得の失敗を悟る。
　ろっこんを理解させようとする理由こそフツウを守るためだったが、この平時に「ひと」である津止に、ろっこんを発動させて見せるのは困難を伴う。
「帰りたまえ、外は暗い」
　さっきより高圧的に言い放つと、津止は消火器を元に戻し、これ以上は話す必要はないとばかりに歩み去った。

　そして。
　足取りも重く校舎を出る月詠の耳を、甲高い鳴き声がくすぐった。

　チチチチチ……。

　見上げれば、蛍光灯の四角い光の中、化学の五十嵐尚輝が、よれよれの白衣でぼんやりと外を眺めていた。
「五十嵐先生……まだいらっしゃったんですか？」
「ああ、旅鴉さんですか。いや、こんなに暗いのに鳥が鳴いているな、と思って」
　ぼそぼそと少しずれた答えを、聞き取りづらい声で返してくる五十嵐に、月詠は問う。
「少し、お付き合い願えませんか」と。