朝顔の咲くころ｜リアクション

朝顔の咲くころ

◇剣道少女と筋トレ少年

　神社の石段をのぼりおえた先。
　見慣れたボサボサ頭の少年がストレッチをはじめているのを見て、
　橘千歳は小走りで境内へと急いだ。
「先に来てたのね」
　念入りにつま先までのばしながら、御剣刀が答える。
「ああ。少しでもトレーニング量を増やしたいからな」
　千歳と刀は普段からこの寝子島神社で剣道の稽古をしていた。
　竹刀の素振りなどがメインだったが、
　今日は心境の変化があったのか、
　筋トレをメインにしたいと刀が提案してきた。
「型通りの稽古も大事だけど、もう少し基礎トレーニングのやり方を見直したいんだ」
　そういって刀は筋トレのメニューを列挙していく。
　石段ダッシュの後で短距離ダッシュ端から端まで２０本、腕立てスクワット……。
（勉強もこれぐらい力いれてくれたらいいのに）
　筋トレマニアの刀にそう思いこそすれど、口には出さないでおく。

　腕立てをしていた刀が、物足りなさを感じて一旦手を止める。
「ウェイトが足りないな……千歳、背中に乗ってもらえないか？」
「えっ？」
　唐突なお願いに素っ頓狂な声が漏れた。
　負荷が足りないなら千歳の体重を足せばいいじゃないか！　と考えたらしい。
　刀のことだし他意はないのだろうが、年頃の女子には恥じらいというものがある。
「なにか都合が悪いのか？」
「ちょ、ちょっとまって」
　千歳からすれば都合は大いに悪い。
　刀が純粋に筋トレのことしか考えてないことは千歳にもわかる。
　意識しすぎなのだろうか。
「せ、背中に乗ればいいのよね？」
　スカートを押さえ、そっと刀の背中に腰を下ろす。
　毎朝の練習で鍛えられてきた刀の体は、見た目よりもずっと筋肉質だった。
「腕立てはじめるから落っこちるなよ。いち……に……さんっ……」
　多少重みは感じているらしいが、刀の声はそんなにしんどそうには聞こえない。
「乗ってて本当に大丈夫、かしら」
「まだ軽いな……ちゃんと食べてるか？　もう少し太った方がいいんじゃないか？」
　重いと言われるよりはまだいいが、その言い方はどうなのかと怪訝な顔になる。

　ひと通り練習メニューをこなした後。
　ベンチに座って休憩をとる刀に、千歳は小ぶりのランチボックスを差し出した。
「おにぎり作ってきたから、一緒に食べましょう？」
　ちょうど腹のへっていた刀の目が輝く。
　ハコの隅にはきざんだお漬物、それから手が汚れても平気なようにおしぼりも完備している。
「さすが女の子、準備がいい！　それじゃ、いただきます！」
　腹ペコ男子の頭には遠慮の二文字などない。
　がぶりと勢いよくかじりつき、口いっぱいに頬張る。
「うまい！　具も俺の好きな物ばかりだ」
「そ、そう？　ならよかったんだけど……」
　若干照れくさくなったのか、千歳はうつむき加減のまま自分の分を食べはじめた。
　作ったおにぎりの具は鮭に梅、おかかの三種類。
　刀の好みは千歳にバッチリ把握されているようだ。
「うん、ホントにうまい。生き返った気分だ……ありがとう」
　何も言ってもらえないのも寂しいけれど、
　おにぎりだけでこんなに喜んでもらえるとかえって恥ずかしい。
　ほとぼりを冷まそうとお茶を口に含んだ、その矢先だった。
「千歳って料理うまいよな。将来絶対いいお嫁さんになれるぞ」
　刀の隣で、千歳が盛大にむせこんだ。
　不意打ちにお茶をふき出すまいと努力した結果、惨事は避けられたが気管に入ってしまったらしい。
「だ、大丈夫か！？」
　呼吸困難と言われた中身との二重の意味で顔が赤いのだが、
　言っている本人に自覚している様子はうかがえない。
「だ、大丈夫、何でもないから……！」
　覗きこむ刀の視線を遠ざけるように、千歳は背中をまるめてうつむいていた。