ご先祖様、奮闘す。｜リアクション

ご先祖様、奮闘す。

　――濡れた森の匂いがする。
　覚えのある匂いに秋ノ宮こまちはそっと目を開いた。
　彼女の視界に広がるのは、濡れた森と足元を覆う絨毯のような雲。見覚えがあるようで見覚えがない不思議な場所だ。
「ここは……？」
　こまちは周囲を見渡し――必死で森を駆ける着物姿の男女を見た。
　服装や髪型の違いなど些細なこと。何故ならそれは自身が経験した出来事だった。――だからこそ結果は容易に予想できた。
「そっちに行っては駄目！」
　こまちは声を張り上げる。二人を止めようと必死に手を伸ばす。しかし二人は止まらない。
　逃避行の終わりはすぐだった。崩落の音に悲鳴が重なり、静寂が一帯へと落ちる。
　もっと大きな声を出していれば――後悔が胸の中を渦巻き、こまちは失意の中膝をつく。
「気にしては駄目。あれは変えられない過去なのだから」
　ふいに間近で囁く声にこまちが顔を上げれば、すぐ傍に赤い着物を纏った女性がいた。
　目にも鮮やかな牡丹の柄は、先ほどこまちが見た男女の片割れなのだと容易に知れた。しかしそれ以上に驚いたのは女性の顔があの日のこまちと生き写しだったこと。
「わた、し……？」
「いいえ、私はあなたの遠い先祖。――駆け落ちに失敗して、私だけが生き残り病に冒され、あの人とのややこの産声を聞きながら死んでしまった」
「……そう、血は争えないものね」
　こまちの口から出たのは自虐の言葉。
「駆け落ちしようとしたことは後悔しているわ。あなたと違って、向こうは私のこと何とも思っていなかったんだもの」
「そうかもしれない。けれどあなたの好いた人は生きているんでしょう？」
　そこも違うのよ。そう言って先祖は明るく笑った。
「このままだとあなたも長生きできないわ。……なんとなくそれは感じない？」
「前に、ここのような不思議な世界で自分の未来を見たことがあるの。今にも死にそうな顔してたわ。……長生きできないのは本当かもね」
　まるで呪いだと達観するこまちに、先祖はさらりと言い放つ。
「この家に関わる女性って私の代から何故か総じて短命なのよ。佳人薄命ってやつかしら。ほらあなたの母親も若くして亡くなったでしょ？　……別に呪いかけたわけじゃないのに」
「軽く不穏なこと言わないで」
　佳人薄命など冗談ではない。こまちは先祖を軽く睨む。その負けん気に先祖の娘は安堵したように笑った。
「ずっと私の子孫に伝えたかった。長生きして。この家の運命を変えてって」
　娘はこまちの手を握る。感触のない手にこまちは息を呑む。
「精一杯足掻きなさい。あなたなら運命を変えられるかもしれない。――こまち。生き抜いて幸せになりなさい」
　そう言って娘は愛しげに笑った――。

　――目覚めは唐突だった。
　横になったまま、こまちは先ほどの夢を思い返す。こちらの気も知らず先祖だと名乗る娘は好き放題言ってくれた。
「運命を変えるなんてまた無理難題ね。今の私にはどうすればいいのか見当もつかない。……でも、足掻くしかないのね」

　――私だって長生きしたいもの。

　こまちの小さな呟きは、朝焼けに溶けて行く。