ちいさなはつこい｜リアクション

ちいさなはつこい

　ベンチに座り温くなった缶ココアを膝の上に乗せたまま、嘉穂は周囲のおとなたち――高校生も嘉穂にとっては十分大人だ――を見上げていた。
　誰もが嘉穂に友好的だ。だからこそ嘉穂は戸惑っていた。嘉穂に優しくしてくれた大人は両親と親戚の柿崎家を併せた『家族』というグループだけだ。
　嘉穂の目に微かな陰りが浮かぶがそれは一瞬。隣で響いた缶のプルタブを開ける音と甘い匂いに掻き消える。
「これで飲めるかな？」
　プルタブを開けたのは実だった。嘉穂は嬉しそうに缶を受け取り、こくりと小さな口で一口飲んだ。どうやら飲みたかったらしいがプルタブが開けられなかったらしい。
　笑顔の実と嘉穂。何気ないやり取りはどこかほっとする光景だった。
「……？」
　みゆきはまた首を傾げる。見覚えがあるのだ、このような光景を。
　考え込むみゆきは嘉穂の声に現実へ引き戻される。
　嘉穂は集まってくれた皆にお願いをしようと少なくなった缶ココアを隣に置き、ずいと身を乗り出した。自然、皆も嘉穂が何を話すか注目する。
「おにいちゃんとおねえちゃんたちへの、おねがいはね――」

　――からん。

　軽い金属音がしたのはその時だ。見ればココアの缶が地面に落ちている。ベンチの上のスマートフォンに中身を少々溢して、だ。
　静寂がベンチの周囲に落ちた。
「――あわ、あわわ……っ」
　完璧な不注意でココアを引っくり返してしまった嘉穂は顔面蒼白である。ワンピースとポシェットが無事でも、大問題なのはおにいちゃんのスマートフォン（しかも最新モデル）なのだから。
「だ、だだ、大丈夫なのだ！？　え、これ大丈夫なのだ？！」
「テ、ティッシュティッシュ！　拭けばセーフ！」
　さすがにパニックになる真央と飛鳥。ティッシュとハンドタオルが飛び交う大惨事である。
　スマートフォンをどうにかしようと飛鳥達が慌しく動く中、一人冷静なのは修だけ。どうしてそんなに皆は慌てているんだと不思議そうでもある。
　その冷静さを見た藤寿も「あ」と何かに気づく。携帯ショップのカタログにもしっかりと最新モデルの特徴が書いてあったではないか。

「――う、うわああああああああんっ！！！」

　機械に水をかけたら壊れる、という図式があったらしい。壊したと思い込んだ嘉穂は、周囲が止める間もなく泣き出した。そりゃもう盛大に。
　大慌ての実が嘉穂をあやそうとするが、パニック状態の彼女には通用しない。
「見知った顔がいたかと思えば……これはどういう集まりだ？」
　聞き覚えのある声に飛鳥が振り返れば、ロータリー前にはサマースーツの銀縁眼鏡の男――神無月文貴の姿がある。
　文貴がここにいるのは偶然。彼は星ヶ丘絡みの用事を済ませた帰りに星ヶ丘駅前を通り――盛大な子供の泣き声に足が止まっただけだ。
「フミッキおじさん！　実は――」
　慌てまくった飛鳥の説明に文貴は呆れたようにため息をついた。
「壊れてねえよ。それ完全防水だぞ？　水入ったコップに沈めても大丈夫だから慌てるな」
「……おじさん、やったの？　やられたの？」
「させたのかもしれねえぜ？」
　半目の飛鳥に文貴は笑いながら言うと、あうあうと泣いている嘉穂を見た。大泣きしていて手がつけられないらしく、傍でみゆきと実がなだめようと慌てている。
　これは少しばかり手を貸さなければならないか、と文貴は真央達が拭き終わったスマートフォンを見た。