ちいさなはつこい｜リアクション

ちいさなはつこい

プロローグ

　柿崎邸で新たに増えた私物は、青年――柿崎純二が思っていたよりも少ないものだった。
「……明日、か」
　都市圏への転勤が決まったのは半年前。それは栄転と呼ばれる誇らしいものらしい。純二は最初断ろうとしたのだが、それを止めたのは他でもない祖母――キヌだった。
　祖母一人を寝子島に残すことには抵抗があった。しかし慌しい都市圏に祖母を連れて行くこともできないし、祖母自身も生まれ育った寝子島を離れることを嫌がった。
　高齢の祖母一人孫一人という家庭の事情を汲まれ、都市圏への転勤の返事を保留させてもらえたのはありがたい。実質それが純二の能力の高さと人柄にあったのだが、当人は気づかない。
　そんな去年の冬の終わりだ。いとこ違いの彼女とその娘が寝子島に帰ってきたのは。

『お婆ちゃんならあたしが看ておくから。純君は気兼ねしなくていいのよ？』

　そう言って彼女は人好きのする笑みを浮かべた。変わらない言葉に背中を押された。
　翌朝上司に転勤の話を受けると告げた。親戚が帰ってきたので祖母のことは大丈夫だと言えば、上司は心底安堵していた。
　そして月日は流れ、夏。転勤のための引越し日は明日に迫っていた。
　日々の勤務の後に少しずつ荷造りを始めていたので荷造りは一週間前に終わった。引越し前日である今日はダンボールを玄関へ移すだけでいい。
　純二は作業に一段落をつけると、居間かその続きの縁側にいるだろうはとこの姿を探す。しかし居間には祖母しかいない。縁側には飼い猫のクロしかいない。
「……嘉穂ちゃん？」
　いつもならこの辺りでクロと遊んでいるはずの嘉穂の姿がない。
「お婆ちゃん、嘉穂ちゃんは今日は来てないの？」
「んん？　嘉穂ちゃんなら、さっき来てたよぉ。居間で麦茶飲んでからね、縁側でクロと遊んでいたと思ったんだけど……いないのかい？」
　不思議そうにキヌは言うと、おっとりと首を傾げた。
「友達と遊びに行ったのかねぇ？　それなら、安心なんだけどねぇ……」
「そう、かもしれないけど……」
　嘉穂に友達ができたのなら、キヌと純二にとっても喜ばしいことだ。けれどあの嘉穂が友達を二人に紹介しないなど、考えられない。
「嘉穂ちゃんのお家に電話してみるかい？　待っててねぇ、今電話かけてくるよぉ」
「いいよ、お婆ちゃん。僕が電話する」
　電話のある部屋へ行こうとした祖母を呼び止めて、純二は居間に置いたままのスマートフォンを取ろうとする。

「……あれ？」

　ない。居間の卓袱台の上に置いたはずのスマートフォンがない。
「嘉穂ちゃん……？」
　判断は早かった。純二は私室に戻り財布と定期券を引っ掴んでくると、外に出る準備を始める。
「どうしたんだい？」
「嘉穂ちゃんが気になって。少し探してくるよ」
「お、大事なのかい？　ごめんねぇ、婆ちゃんがちゃんと看ていたら……」
「いや、僕がただの心配性なだけだよ。嘉穂ちゃんが帰ってくるかもしれないから、お婆ちゃんは家にいてね。なるべく小まめに家に電話するから」
　にわかに慌しくなった柿崎家を、数羽の雀が何事かと見下ろしていた。

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