夕暮鳥居のその向こう｜リアクション

夕暮鳥居のその向こう

(あの天狗みたいなじいちゃん……)
　壬生由貴奈は鳥居の傍らで動かぬ翁面の男を振り返る。
(天狗？)
　見るからに怪しげな風体の男に掛けられた面に指先で触れる。
(まぁいいか)
　のっぺりとした面を掌で叩く。この何とも言えないお面、ちょっと気に入ったし。
(お面被って縁日、ねぇ)
　面越しの視線を賑わう境内へと向ける。小さい頃、一度だけそんなこともあった。
　ざわめく人込みをのらりくらりかわしてふらつけば、あの頃の記憶が脳裏を掠める。
　あの頃は、――両親が生きていた頃は、まだ本土で暮らしていて。けれど両親は二人とも仕事で忙しくて。
　両親に構ってもらえた記憶はほとんどない。
　仕事だから、なんて事情はあの頃は理解出来なかった。ただ、本当に寂しかった。
(……ま、もう昔のことだし)
　幼い頃の両親の不在も、中学生の頃にその両親を目の前で亡くした事件についても、その後ひとりきりで寝子島に移り住んだ事も。なにもかも全て、気持ちの整理はついている。
　夢の中を歩くようにふわふわとした足取りで、けれど人にはぶつからずに石畳の参道を辿る。
　マスクにサングラスの女性が売る呪いの人形も、鉢の中で恐ろしげな唸り声を響かせる毒草っぽい植物も、睡眠不足の眠たい眼で横目に過ぎて、焼きそばの屋台に並ぶ男女二人の背中を見た途端、足が止まった。
　由貴奈の気配に気付いた二人が揃って振り返る。顔を覆って、由貴奈と似たようなのっぺりとした面。
　顔は分からないけれど、ずっと見て来た背中を見間違えるはずがない。
　由貴奈は小さな子供がするように両手を伸ばす。二人の服の袖を掴む。
　この島では、不思議な現象が次々と起こる。
(そうは言っても、まさか、ねぇ？)
「確かに八月だけど、盆休みには少し早すぎない？」
　笑みを含んだ声で話しかける。
「父さんと母さん、両方に会うとは思わなかったよ」
「由貴奈」
　父が笑う。母が由貴奈の手を握る。
「三人で、お祭を見て回ろう？」
　母に泣き出しそうな声で乞われ、由貴奈は面に覆われた顔で大きく頷いた。
　両親に挟まれ、母と手を繋いだまま、両親が並んでいた焼きそばの屋台に並び直す。
「縁日に三人で遊びに行くなんて、小学生の頃一度だけ行ったっきりじゃん？」
「覚えていたのか」
　焼きそばを受け取りながら、父が驚いた声をあげる。
「そりゃあ、ねぇ」
　何気なく言った途端、手を握る母の手に力が籠もった。
「寂しかったよね」
「すまなかった」
　思ってはいても口にせずにいた思いを母に読まれ、父に詫びられ、由貴奈はどうしようもなく息を零す。
「別にいいんだけどさ。ほら、焼きそば冷めちゃうよ」
　屋台脇で焼きそばを親子三人で分け合って食べた。
　案外むきになる父と並んで一緒に金魚をすくった。
　小さな屋台でクッキーを買ってもらって、
(あ……)
　ふと、思い出す。
　クッキーを買ってもらったのも、あの日が初めてだった。
「こっちのクッキーも、どう？」
　母が華やいだ声をあげる。
　母の珍しくはしゃぐ姿も、父の楽しげな笑い声も、あの日と同じだった。あの日と同じに、両親と一緒にいるのはすごく楽しくて嬉しかった。
(でも、)
　二人はもう居ない。
　この夢のような出来事がじきに終わることを、由貴奈は知っている。気持ちの整理はもう済ませている。今更別れを惜しんだりなんて、
(……しないよ)
　でも。けれど、ひとつだけ。
「父さん、母さん」
　母の手を離れ、由貴奈は一人で立つ。
　五年前に目の前で亡くした両親と真直ぐに向き合うて、せめても、笑う。
「ありがと、また会えて嬉しかった」