蝉の声が立ち消える。
頭上を覆い尽して、ひぐらしの声。
空を仰ぐ。
肌を焦がしていたはずの夏の日差しが、厚く重なる濃緑の梢に遮られている。夏草の香り含んだひんやりとした風に頬を撫でられ、
薄野 五月は思わず足を止めた。ショートカットの黒髪が夕風に流され耳元で揺れる。
白く輝く入道雲が聳えていたはずの青空は、今は、
――鮮やかに赤く、黄昏の色。
眼鏡越しの視線を巡らせる。
ぐるりの深い木立に、足元の古びた石階段に、首を傾げる。どうしてこんなところを歩いているのかな。
「なんじゃア、お前」
黄昏色の石の階の上から声が掛かる。声を追って顔を上げて、
「今日は人が多いな」
石階段の天辺、黄昏の茜よりも深く赤い朱の鳥居を背負うて、着物姿の男が立っている。声からして、若い男だろうか。鳥居の脇の石灯篭に揺れる光を受けて、男が顔に被る翁の能面が怪しく笑う。
「道が繋がっとるんか」
ちらりと首を捻っておいて、まあいい、と着物の袂を探る。面を取り出し、ほら、と投げる。
反射的に受け取って、面の表裏を眺める。被れってこと?
「ここより先を覗いてゆくなら、それを掛けろ」
行かないなら返せ、と男は着物の裾を夕風に揺らして手を伸ばす。
伸ばされてくる手から逃れるように面を顔に被る。頭の後ろで面の紐を結わえ、階段を登り切る。
深紅の鳥居の向こうを覗けば、参道に沿って並ぶ石灯篭の灯に眼が眩んだ。堰を切ったように溢れ出す大勢の人々の賑やかな声にどきりとした。
石畳の参道の脇を埋めて、鮮やかな赤や黄の天幕を張った屋台が並ぶ。玉蜀黍に塗った醤油の、焼きソバに垂らしたソースの、焦げる香り。綿飴の甘いにおい。焼き鳥や串焼き肉の炭と肉の焼けるにおい。
高らかに響き渡る、ポン菓子の爆ぜる音に耳を塞ぎながら、眩しい光に漸く慣れた眼を瞬かせる。
金魚すくいをしたいと母親らしい女の手をひく子どもも、それに頷く女も、浴衣姿で団扇を仰ぐ男も、屋台で店番をする老爺も、――参道をそぞろ歩き縁日を楽しむ人々は皆が皆、それぞれに面を被っている。
おかめに火男、正義のヒーロー仮面に魔法少女、魔法少女のマスコット、般若に白狐に女面。四角い布を垂らしただけの者も居る。
面越しに眼を瞠る五月の傍らを、青年が一人、擦りぬけようとして、
「こら、待たんかい」
翁面の男に腕を掴まれ止められる。
「親父! ちょっと待っ、」
喚く青年の顔に、翁面の男は手早く面を掛ける。
「懐かしい者を見たか」
囁かれ、青年は我に返ったように息を吐き出す。
「父親を、……いや、こんなところに居る訳がないんだ、もうずっと前に死んでるし」
この世にいるはずがない、と最後は己に向けて言い聞かせるように呟き、
「……けど。でも、もしかしたら」
それでも諦めきれず、鳥居の向こうへ面に覆われ隠された視線を向ける。灯篭に照らし出された参道を行き交う、どこか奇妙な人々のその内に、亡くしたはずの人を探す。
今にももう一度駆け出しそうな青年の腕を、翁面の男は息ひとつ吐いて離す。そうして、
「鳥居の向こうで面は取るなよ。向こう側のもの達の面も、決して外すな、外させるな」
青年に、五月に、低く言い渡す。
男のあまりの声の低さに、五月は眉を顰める。鳥居の向こうに父親を追おうとしていた青年も、それは同じだったらしい。面の顔を男に向ける。
「外すとどうなるんですか」
五月が淡々と問えば、男は面掛けた頭を僅かに伏せた。それだけで、おおらかな笑みだけを浮かべているはずの翁面が、光の加減か、面の角度か、酷く厳格な表情を宿して見える。
「大変なことになる」
けれどそれはほんの一瞬。瞬きの次には、元の穏かに笑んだ老爺の顔となる。掴んだ腕を離し、ひらひらと掌を振る。
「が、まア、そうなる前にわしがお前を摘まみ出す。心配いらん。折角来たんだ、楽しんで行け」
物食う時は、とどこか楽しげに翁面をちらりと持ち上げる。案外若そうな口許だけが覗く。
「目元を見られなきゃいい」
行って来い、と手を振られる。
門番じみた翁面の男に送り出され、鳥居のその向こう側に、一歩を踏み出す。
こんにちは。阿瀬春と申します。
夏祭り風です。縁日風です。神魂の影響を受けて、ちょっと奇妙な世界に迷い込んでみませんか。
大丈夫、怖いことは(たぶん)起きません。元の寝子島に帰ろうと思えば、鳥居を潜ればすぐに帰ることが出来ます。
屋台を楽しむも、ちょっと不思議な人のかたちしたもの達と一緒に参道を歩くも、御自由にどうぞ。元の世界のご友人も、もしかすると迷い込んで来られているかもしれません。
それから、もしかすると、過去に亡くした誰かにも会えるかも……?
参道に並ぶ屋台は大体普通の屋台です。たまーに変なもの(人面魚すくいや、人面犬を売るマスクにサングラスの女性や、なんかこうどす黒いオーラを放つ怪しい屋台等々)を見てしまうかもしれませんが、大丈夫です、怖くないです、驚かされたりはするかもしれませんが、食べられたりはしません。
道行くもの達のお面を剥いだりしなければ。
翁面の男から渡されたお面を外したりしなければ。
シナリオガイドに、薄野 五月さまに登場して頂きました。ありがとうございます。とても良い夕景です。
あの、でも、ご参加されるかどうかはPCさまのご都合次第です。
みなさまのご参加、お待ちしております。