夕暮鳥居のその向こう｜リアクション

夕暮鳥居のその向こう

　ふわり、うなじを撫でる風の涼しさに、宮祀智瑜は足を止める。ボブカットの黒髪と、その両側に結わえたブルーのリボンが揺れる。
　いつものようにいつもの神社に向かっていたはずだった。
　けれど気付けば見知らぬ階段の途中に立っていた。階段を登ったその先、鳥居の脇に立っていた翁面の男に白狐の面を渡された。
　戸惑いつつも素直に被った白狐の面越し、見知らぬ神社の参道に、見知らぬ祭の風景が広がっている。そうして、見知らぬ祭に賑わう様々の面を掛けた人々。
　人々の流れに沿って歩けば、初めて来るのに何故だか懐かしい感覚が胸に満ちた。
　縁日でお馴染みの屋台を見て回るうち、智瑜はぎくりと足を止める。綿菓子と植木鉢の屋台に挟まれて、たくさんの檻を並べた、何だかちょっと不穏な気配のする屋台。恐る恐る近付いて見れば、
「っ？」
　檻の中、愛らしく丸くなる柴犬風の犬の、ちらりと上げた顔は幼い少年の顔。
「イキのいい人面犬だよ、如何かな？」
　丸い黒眼鏡に中折帽、見るからに怪しい風体の店主に愛想良く売り込まれ、智瑜は驚きながらも首を横に振る。
「今日は何か特別な日ですか？」
「特別と言えば特別か。お嬢さんみたいな子たちが迷い込んでるからね」
　ほらあそこにも、と店主が示す指の先に視線を向かわせた、その途中。
　ずっと前を歩く男女二人の後ろ姿に視線を奪われた。
　咄嗟に追いかけようとして、振り返る。
「ありがとうございます！」
　怪しい店主に礼を言い、先を行く二人を見失わないように人込みをすり抜け、駆ける。
　背中を一目見ただけで分かった。あの二人は――
　必死に駆けて、人にぶつかってしまう度に丁寧に頭を下げて謝って、
「待って！」
　声を、あげる。
　智瑜がまっすぐに見つめるのは、ひょっとこの面とお多福の面を被った一組の男女。
「お父さん？　お母さん？」
　顔は分からないけれど、でも、分かる。
　足を止めて振り返ってくれた二人の元に駆け寄ろうとして、
「わ、きゃあっ？！」
　足が絡んだ。そのまま転びそうな体を、
「智瑜、久しぶりだな」
　ひょっとこ面の父が抱きとめてくれた。そのまま、きつく抱きしめてくれる。
「少し前に会ってるわよ」
　お多福面の母が柔らかく頭を撫でてくれる。　
「ね、智瑜」
　父と母が、決して忘れまいと心に刻んだあの日と同じように名前を呼んでくれるのが嬉しくて、智瑜はふたりと手を繋ぐ。
　父と母と、祭の屋台にざわめく参道を歩く。
「智瑜はまた可愛くなったな」
「好きな人ができたんだものね」
「し、知ってるの？」
「智瑜の事は空の上から見てるから」
「いつも、ね」
　悪戯気に視線を交わしあう両親に挟まれて、智瑜は頬を赤らめる。見守ってくれるのは嬉しいけれど、そこまで知られてしまっているのはちょっと恥ずかしい。
「あのね、お祖父ちゃんたちの夢に出れないかな？」
　父と母を交互に見つめ、お願いをする。
「前に会えた時の事を夢の話として話した時、夢でもいいから会いたいって言ってたから」
　祖父母孝行な愛娘に、父は頷く。母は娘の頭を抱きしめる。
　家族で赤い鳥居を潜る。縁日の賑わいが嘘のように静まり返る境内の央には、小さなお社。
　人気の少ない神社で、智瑜は両親と共に鈴を鳴らし、拍手を打つ。祖父母の夢に両親が出られるよう、神様に祈る。
「智瑜」
「そろそろお別れね」
　お社の傍に並んで立ち、見送ってくれる二人に智瑜は元気良く手を振る。
　きっとまた会える。
「またね」
　だから、さよならは言わない。
　もと来た道を辿りながら、智瑜は茜の空を仰ぐ。
　帰る時にあの翁面の男性に会えたら、感謝の気持ちを伝えよう。ありがとうございました、って。そう言おう。