夕暮鳥居のその向こう｜リアクション

夕暮鳥居のその向こう

　顔の上半分を白い布で覆う。視界に紗が掛かる。
「ありがとう」
　八神修は霧の中に立って見える翁面の男に向き合う。
「役目だ」
「……門の番が、ですか？」
「まァ、主にそんなところかの」
「と言うことは、他にも？」
　茜の風に茶の髪を揺らし、翁面の男を隠した目で見遣る。男は面の頭をちらりと傾けた。
「顔を覆うた言うことは、お前、会いたい人が居るんやろ」
　行って来い、と鳥居の向こうへと面の視線を投げる。
「会えたらええな」
　修は男の視線を追う。
　石灯篭の光と夕日の混ざり合う境内、不思議な祭の景色をしばらく眺める。凛と背を伸ばす。
　会いたい人は、いる。
「母は必ず此処に来ています」
　参道に溢れる人波に、母の姿を追い求める。顔を隠していようと、絶対に分かる。
　男は微かに笑んだようだった。
「なら、わしに構うとらんと向こう行き」
「……ありがとう」
　石畳の参道を踏めば、いつか母に手を引かれて歩いた記憶が蘇る。あれはいつの記憶だろう。母の掌のぬくもりにしがみついて祭の賑わいを辿ったあの日の記憶。
　あの日の記憶を探して、人込みをすり抜ける。
　向日葵や桔梗の鉢植が並ぶ屋台を覗き、色鮮やかなヨーヨー釣りの屋台を眺め、赤や黒の金魚がひらひらと水に踊る水槽の脇に立って、
　――同じように水槽を覗き込んでいた女性に、視線を奪われた。
　面で覆われた顔は確かめることはできない。けれど、
「母さん」
　考えるよりも先、唇から声が零れた。母の掌を求めて手が伸びた。
　女性が顔を上げる。修の手に手を伸ばし掛けて、
「きゃ」
　何もないところで躓いた。転びかける母を咄嗟に支え、修は笑う。
「会いにきました、母さん」
「……ありがとう」
　修の腕にしがみついて、母は自分が転んだことにくすくすと楽しげに、恥ずかしげに、笑う。
「シュウ」
　魔法の呪文を唱えるように、母は息子の名を呼んだ。
　母に手を取られ、祭に賑わう参道をゆっくりと歩き出す。子供にするように手を繋がれて、けれど振り解く気にはなれなかった。
「学校は、どう？」
　屋台の裏側、賑わいを少し離れた雑木林のベンチに母子は腰を下ろす。夏草の匂いが足元でふわり、揺れる。
「一学期も終わった所です」
「期末テスト、あるのよね」
　修は小さな子供のように得意げに笑う。
「まかせてください。完璧でしたよ」
「学校は、楽しい？」
　幼い頃に生き別れ、その後に病死したことを知らされた母と話すのはとてもとても嬉しくて、切なかった。
「学校は楽しいです。友達も大勢できました、損得勘定抜きで友達でいてくれる人達です」
「そう、良かった」
「一生の友人になれる人は、……どうだろうな」
　梢の先に広がる茜の空を仰ぐ。母は何も言わず繋いだ手に力を籠めてくれた。
「大きくなったわね」
「そう、でしょうか」
「好きな人が出来たでしょう」
　母の眼差しに想い人の存在を見破られ、修はらしくなく焦る。
「いない、いないよ、好きな人なんて」
「嘘」
「……そのとおりです。居ます」
　耳をくすぐる母の笑い声に、修は熱くなる頬を片掌で覆ってむくれる。
「そんなに笑うことないでしょう」
　屈託なく笑う母を見詰める。
「母さんは、……あの人を愛していたの？」
「もちろん」
　母の応えは、修が父に対して抱く複雑な感情を優しく包み込むほどに力強かった。子を奪った男を、それでも愛していると母は確りと頷く。
　だから修は、夏休みに父と話し合おうと決める。
　母が愛した人の良い部分を見つけてみよう。
　少なくとも、正面から向き合って話をしよう。
　そう心に定め、黄昏の色の中の母の手を取ったまま、立ち上がる。
「シュウ、……どうか、元気で」
　名残を惜しんでか、力の籠もる母の指先に泣きたくなる。
「また会えますから」
　この島は、そういう島なのだろう。
　涙の代わり、修は微笑む。