夕暮鳥居のその向こう｜リアクション

夕暮鳥居のその向こう

　顔を覆う変身ヒーローの面越し、志波高久はマスクとサングラスの女性が売り子をしている藁人形の露店を見遣る。その隣には鉢の中から不気味な笑い声を上げ続ける不穏な植物の屋台、向かいには一度着れば脱げなくなりそうな深紅の着物を一点きり飾る店。
(……この調子だとツチノコ屋台とかもあるんじゃないか？)
　動じぬ様子で茶に染めた短髪を指先で掻いて、視線を巡らせた先、瓶詰めツチノコを並べる屋台を見つける。
　思わず近寄る。一升瓶に押し込まれてピィピィ鳴く、見様によっては可愛く見えなくもない胴の太い短い蛇を物珍しげに眺める。
「いるかイ？」
「いや、いい」
　目深に帽子を被った見るからに怪しい店主の勧めをスッパリ断り、ツチノコ屋台から離れたところで、
「……ん？」
　賑わいの中、楽しげに屋台を見て回るどこかで見たような後ろ姿を見つけた。
「先生？」
　高校生の頃に毎日見ていた、背広の背中。
　卒業後も何度もメールで世話になっていたけれど、最近はご無沙汰だった。そう言えば、色々旅をしたいと言っていた。
　念願の旅行中なのだろうか。
　人込みを擦りぬけ、高校時代にしていたように背広の肩を少し強めに叩く。驚いたように振り返る恩師の顔は、己と同じように面で覆われている。
「先生」
「やあ、志波か」
　それでも、元教え子を一目で認識して、恩師は面の奥の瞳を和らげた。
「久しぶり」
　手近なおでんの屋台で己と恩師の二人分、缶ビールを買う。出すよ、と慌てる恩師に笑いながら缶を押し付ける。
「まさか志波と飲める日がくるなんて思わなかった」
　人波を避け、参道の端に移動する。元気そうな背広の背中を追いながら、何気なく問う。
「観光か？」
「そんなところだ」
　缶ビールを開ける恩師の、どこか生気の薄い手を見詰める。脳裏を掠める、鳥居前の男が言っていた言葉。
　――もう居ない懐かしい人に会えるかもしれん
「志波」
「ああ、乾杯」
　穏かに向けられる缶ビールで乾杯をして、二人でビールを喉に流し込む。嬉しそうな恩師の姿を確かめる。
　先生は、体を壊して退職したはず。
　思い出した途端、心臓が痛い程に大きく鳴った。
「酒、……飲んで平気なのか？」
「……うん、もう、な」
　困ったように仕方なさそうに苦笑されて、そうして、気付く。
「あぁ、やっぱりそういう事か」
　思わず寂しい息を零す。先生はあっけらかんと明るく笑った。ビールをあおる姿を見て、思う。この人は、少なくとも悔いなく人生を終えたのだと。
　恩師と並び、最初で最後の酒を飲む。
「不思議だな」
　ぽつり、先生が呟いた。
「俺も最初は驚いた、ここは不思議なことが沢山起こる」
「志波は相変わらず大抵の事を怖がらずに受け入れるな」
　大したもんだ、と肩を叩かれ、照れくさくなってビールを飲み干す。
「皆に、元気で、と伝えてくれるか？」
「沢山世話になってから、それくらいお安い御用だ」
「ヤンチャもほどほどにな」
「……気を付けます……」
　高校時代と同じような説教を受けながら、これが最後なのだと思う。
　さて、と先生は明るく笑った。空になったビールの缶を傍らのゴミ籠に捨てる。
「ごちそうさん」
「……先生」
　何かを言おうとして、言えずに空の缶を握り潰す。
　先生はほんの少し寂しそうに茜の空を仰いで、それから真直ぐに向き直る。
「いってきます」
　その言葉を聞いた途端、言うべき言葉を決める。
「あぁ、いってらっしゃい」
　此処から戻ったら、明日の予定は全てキャンセルして地元行の飛行機に飛び乗ろう。
　着く頃にはきっと、同級生からメールが届く。

　――『先生が今日、亡くなった』