夕暮鳥居のその向こう｜リアクション

夕暮鳥居のその向こう

　翁面の男が差し出した面を見るなり、獅子島市子は泣き黒子のある目元を不満げに引き攣らせた。
　鈍い黄金色の肌、眼を見開き、真っ赤な口を大きく開け鋭い牙を剥き出しにしたそれは、能の獅子口の面。
　悪人や霊を祓う鬼神の面は、霊媒の家系であるシジマの役目に符号する。
（……ただのフリーターなんすけどあたし）
「あてつけかよったく」
　眼鏡越しに無愛想な視線を向けても、翁面の男は知らぬ気に面を差し出すばかり。
「まー……せっかくの祭りだ、せーぜー楽しむさ」
　面を受け取り、結い紐を三つ編みの髪の後ろで固く結ぶ。木製面の冷たい裏側が頬に触れる。
（できればここがなんなのか確かめてーが）
　こんな神社は知らない。
　こんな祭りは知らない。
（どっからどー見ても怪しいだろーが）
　門番じみて立つ翁面の男を横目に鳥居を潜る。　
　参道の両側に並ぶ屋台を見回し、面を掛けてそぞろ歩く人々を見回す。
　歩き出す傍らを、兎の面を被った男が必死の声を上げて人波に飛び込んでいく。
　懐かしい人に会えるかもしれん、翁面の男の言葉を思い出す。
（……『重なって』んのか。ンなコトあんのか？）
　訪れる『客』に懐かしい『死者』の幻を見せているだけなのか。それとも、彼岸と此岸が神魂の影響で『重なった』のか。
　顔を覆う面に手を掛ける。
　面を掛けるのは生者であることを死者に知られぬ為か。
　この世ならぬ場所で縁日を楽しむ死者達を市子は見遣る。
（頼むから出てくんなよ婆サマ）
　もう居ない者と会ったところでどうすることもできぬ。
　そうして線引きをせねば生きてはゆけぬ。死にきれぬ。
　それは、両親を喪った市子を引き取り慈しんでくれた祖母の教え。
　拝み屋であった祖母は獅子島の血を濃く引く市子に様々の事を教え、市子と一年過ごして後、彼岸に発った。
　祖母と過ごしたたった一年がふわり、胸を掠める。
　宝物のように思う、祖母との日々。
　――市子はばあちゃんの若い頃にそっくり
　そう言って穏かに笑ってくれた祖母。
　会いたかった。会いたくなかった。
（他の客にヤボ働くつもりはねーけど）
　フランクフルトにお好み焼き、フライドポテトにポップコーン、思うさま買い食いに走るついで、お化け提灯が通行人を驚かせている提灯屋の前で立ち止まる。念のため、ろっこんの発現用の提灯を買い求めておこうとガマ口財布を取り出す。
　視界の端で揺れるお化け提灯を煩いと払い除けて、
「……って」
　ゆらゆら揺れて視界を邪魔する提灯の赤い光越し、行き交う人のかたちをしたもの達の内に、見知った着物姿を見た。
　見てしまった。
「待って！　ばあちゃん！」
　瞬間、祖母に対する想いが祖母の教えを吹き飛ばす。祖母の背中を追うて、駆け出す。
　会いたい思いと会いたくない思いが涙になって溢れる。思いに足が取られて絡む。茜色の染まる石階段の前、膝を突く。一度見失った祖母の背中を探して面の顔を巡らせる。
　涙に滲む視線が、人込みに消えていく祖母を捉える。けれど足は石畳にへたりこんで動けない。祖母が行ってしまう。また見失ってしまう。もう追えない。……否、追ってはならない。
　面の内側に涙がぱたぱたと落ちる。
（……ナニやってんだか）
「らしくもねー」
　呟いて、面の中に指先を突っ込む。頬を濡らす涙を拭う。
　息を吐き出し立ち上がる。参道の賑わいから外れるように上へと伸びていく人気の少ない石階段を仰ぐ。
（神社かここ）
　人込みに見失った祖母への感情を振り払うように、石階段を登る。
　軽い足音がしたかと思って振り返れば、人の顔をした犬がしたり顔で石階段を登ってくる。
「ナニ見てんだよ」
「見てねーよ」
　しかめ面でメンチ切る人面犬を獅子口の面で睥睨する。犬は文句を垂れつつ階段を駆け登って逃げた。
「今居たのって人面犬だよね？」
　数段上の階段に立つ、狐の面を掛けた女が驚いた様子もなく笑う。

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