一月は駆け出しの小説家です。
　この会場にももうひとり、彼の先輩となる小説家がおりました。
　南戸河蔵人です。彼と酒を楽しむのは夕凪識、こちらは画家でした。
　ふたりの酒盛りはどうなったでしょう？
　そろそろ花火も終わりのようです。連発された花火に拍手すると、蔵人と識は花火鑑賞で中断していた話題……製作中の新作の話を再開しました。
「識さんの次のテーマは『夏』ということだったね？」
　アイリッシュウイスキーに浮かべた氷を溶かしながら、蔵人は上気した顔で問います。
「ええ、鶏と朝顔をモチーフに描いているところですよ」
　識もそれにつきあってウイスキーです。といっても味覚の弱い識にとっては、焼酎のウーロン割りも同じようなものですが。
「夏の朝、という感じ？」
「そうなりますね。冬なら真っ暗な時間帯でも、夏はもう明るい。そんな喜びを絵筆に乗せたいんです」
　途中経過ですが、と言って、識はスマートフォンの画面を蔵人に見せました。
　どこかのどかな光景です。
　田舎の庭なのでしょうか。
　餌をついばむ鶏と、その羽を飾るように赤紫のつぼみを開く朝顔……一度もそんな場面を見たことがなくても、それでもノスタルジーを刺激されるような、生まれる前から知っていたような、そんな絵がありました。
「もう完成してるんじゃ？」
　蔵人の言うように、その絵はもう彩色もすんでおり、一枚の美術品そのものに見えます。
「いえ、これではまだ絵に魂がありません。ここからが、本格的な仕事になります」
「さすがですなー」
「いえいえ」
　このとき識はぽそっと呟きました。
「私の目もいつ見えなくなるかわかりませんし今のうちに沢山作品を残しておきたいんですよね……」
　ですがその声は、ひときわ大きな花火の音にまぎれ蔵人には聞こえませんでした。
「え？　なにか？」
「いえなんでもありません」
　――こういう場で湿っぽい話はいけませんよね……。
　識はやや下を向きました。
　彼が、過去の事故のせいで味覚に異常があることはすでに書きました。
　そればかりではありません。実のところ識は、視覚にも異常をきたしているのです。
　彼の目がいつまで視力をたたえているか、それは識自身にもわからないことなのです。
　悲しいことではありますが、すでに識はこの運命を受け入れています。
　なので、『魂』という言葉は彼にとって、決して大げさではないのです。文字通り、魂を絵の一枚一枚に込めているのです。そうして作品を自分が生きた証、世界が見えていた証にしようとしているのです。
　さきほどの花火が本当に最後の一発だったのでしょう。場内は静まり返って、なんだか一瞬、無音になりました。
　顔を上げたとき、識はまた笑みを浮かべていました。
「蔵人君は子ども向けに創作しているんでしたね」
「ヤングアダルト、ジュブナイル……そういうのも手がけるけれど、このところはもっぱら童話かな」
　お恥ずかしながら、と蔵人は言いますが識は首を振ります。
「時代の夢を紡ぐ仕事です。立派だと思います」
「読者にもその思いが伝わっていると嬉しいんだけどね」
「私は見た目は若いなどとよく言われますが、中身は歳相応でしてねぇ。子ども心を忘れないコツでも教えてもらいたいものです」
　待ってました、とばかりに蔵人は答えました。
「ま、子ども心を忘れないのに大事なことって言えばやっぱ愛だね。男女の愛とかじゃなくて……まあ、うまくは言えないけど。子どもたちには夢もっててほしいじゃない」
「なるほど、夢ですか。愛に夢、絵を描くときにも大切にしたい気持ちです」
　二人の目の前にはおつまみとして、ローストビーフがありました。これは蔵人が「私ローストビーフ好きなんよ」と持ってきたものです。
　付け合わせのサラダもありました。ところが蔵人はこれにほとんど手をつけません。
「野菜はお嫌いで？」
「いや、そんなことは……うん、食べます」
　蔵人は箸で野菜をつまみました。青々としたチェシャにつややかなトマト、それに薄くスライスしたキュウリです。
「油っぽい物ばっかりじゃ太るしね。ま、結局たくさん食べるから体重減らないんだけど」
　このとき、おや、と識が顔を上げました。
　つられて蔵人も空を見ます。
　花火が再開されました。さっきのは小休止だったようです。
「お、サービス満点だな……」
　食べる手を止めて蔵人は言いました。
「うん、せっかくだし、今夜の記念にひとつ、花火をテーマに協力できるなにかを考えてみる？」
「いいですね。私も創作意欲がわきました。なにかお題を下さい。それを元に一枚、下書きしてみましょう。気に入っていただければ持ち帰って筆を入れ彩色するということで」
　言いながらもう、識は懐からクロッキー帳を取り出していました。画用の鉛筆も出してきます。これらはいつも持ち歩いているのです。
「そうだなぁ。天の華、ってところかな」
「なるほど、活き活きした絵にしたいと思います」
　ふたりの創作者は顔を見合わせました。いいものができそうです。

　がっつり呑んでがっつり食べて、良い感じに千鳥足。
　といっても筋肉質の足ですから、『千鳥』というにはたくましすぎますが。
　そのたくましさは両脚にとどまりません。胸板は厚く、顎はぱっくりと割れ、頬は薄青いヒゲに覆われています。剃っても剃ってもこの青ヒゲは消えないところからして、なかなか根性の座った剛毛と言えそうです。
　というわけでどこをどう見てもむくつけき男でありますが、彼すなわちミッシェル・ナイスゲイを『彼』と呼んでは失礼にあたります。
　彼女と呼ぶべきです。少なくとも本人はかたくそう信じています。
　なので以降は本作もその表記に統一するとしましょう。

　彼女のブロンドは綺麗にカールしております。専用のヘアアイロンで丁寧に飾り付けたもののようでした。
　ボン、キュッ、ボンという古典的表現を使いたくなるドレス、つまり古式ゆかしきボディコンで、ばっちり決めておりました。
　長身ですが、ハイヒール履きでますます長身です。
　可愛さアピールのハンドバッグは、しっかりブランドものであります。ブランドのロゴが大きすぎますが、香港製のパチではなくまぎれもなく本物であります。
　週末の今夜、バー『ジオフロント』を経営している彼女としては当然稼ぎどきなのです。でも今日ばかりは臨時休業してミッシェルはここに来ました。
　理由は、ちょっとロンリーな自分を自覚したから。
　したがって今夜は臨時休業、いわばロンリー休業というわけです。はっきりいってビアガーデンは商売敵になるわけなので、偵察＆潜入調査という名目もありました。
　がっつり飲み食いして胃の腑を温めた彼女は、今度は心を温めるべく、会場内の『イケメン』（そもそもオネエの使う言葉ですのでこの用法はまったくもって正しい！）を物色しました。
　すると、
「いや～ん♪」
　さっそく発見、前方に発見、ブロンドの好青年です。
　すぐ近くはありませんがミッシェルのセンサーは、彼を見事にターゲッティングしていました。
　単身、なにやら孤独な雰囲気をたたえているところもおあつらえ向きです。
　――お友達になりたいわん！
　びびっとミッシェルの母性本能（あるんです！）が刺激されています。
　なんというか、ほっとけないタイプではありませんか。話を聞いてあげて、優しく抱きしめてあげたくなるような。
　彼の知的な目も、愁いを帯びた睫毛も、ミッシェルからすれば好もしい。
　さしつさされつ酌み交わし、友情から愛情へと発展できればそれこそ素敵と、彼女は身悶えするのです。
　――ベロンベロンに呑ませて、そのままお持ち帰りしちゃうわよん♪
　酔いつぶれた彼を解放しつつ、自分の店（『ジオフロント』）に連れ込んでそのままプライベート二次会！　泥酔から始まる恋もある！　とその後の計画もしっかり立てて、息を殺した蛇が蛙の背後から近づくように、じわじわとミッシェルはウォルター･Ｂに接近していくのでした。