大人の時間はビアガーデン｜リアクション

大人の時間はビアガーデン

　割れんばかりのセミの声。
　やはりボリューム過多、夏休み中の子どもたち。
　自動車の行き交う音すら、心なしか気ぜわしい。
　これに加えて暑さ！　大きな黒い中華鍋でガシャガシャ炒められているような容赦のない夏！
　……は、まだまだ終わりませんが、地球を飲み込むような火炎球（こと太陽）が沈みはじめるとようやく街にも、いくばくかの静けさと涼しさが訪れるのでした。
　風切って一台のオートバイが、剃刀の刃で引いたみたいに鋭い曲線を描いて駅ビルの駐輪場にとびこみました。
　怒れる獅子のごとくうなるエンジンを切り、下りてヘルメットを脱いだのは一人の青年です。

　伊予祐、職業は執事。
　普段はフォーマルな装いの祐ですけれども本日は、いわく「休日イエー！」ということで、洗いざらしのパリっとしたシャツに、無造作に選んだ黒いスキニーデニムといういでたちです。
　ととのえ過ぎない程度に櫛を入れた黒髪が、ビル風を受けそよそよとそよいでいます。
　執事という職に休日があるのかは謎ですが、このさい野暮は言わずにおきましょう。
　駅ビルを見上げるだけで祐の心は躍ります。
　躍らないはずがありません。本日は彼も夏らしく、この屋上でビアガーデンを楽しむ予定なのでした。
　しかし祐の心がビーチボールみたいに、バンバン跳ね回っている理由はそればかりではありません。
　なぜって今宵の祐は、ひとりではないのですから。
「渚砂さん！」
　このときもう一台、銀色のバイクが駐輪場に滑り込んできました。
　まるでスケートリンクを滑走するように、優雅な軌跡を曳いてバイクは停まります。エンジン音もリズミカルで、低音のきいた音楽のようです。

　
　名指揮者がタクトをすっと下ろすようにしてエンジンを黙らせると、
「TAS、駅ビルで食事しようって話だったがまさか」
　霧生渚砂はヘルメットを脱ぎました。渚砂もビルを見上げ垂れ幕を見ています。　
　祐は迷わずサムアップ。
「いやっほうビアガーデン！」
　垂れ幕には、溢れそうに白い泡を上げるビールジョッキの絵がありました。
「ってビールが飲めるところだったのか！？　ビアの意味はそこか！」
「なんだと思いました？」
「冷静に考えたらそうだが……」
「俺と食事と聞いて、楽しみなあまり冷静ではいられなくなった、とか？」
　しかしそんな祐の言葉をさらりと流して、
「今日のためにうちの家族を電話で説得するのが大変だったんだよ……！　『ごめん！　なんでもするから今日は許してくれ！』って手を合わせて……」
「オーケーオーケー、男の価値はどれだけさらりと頭を下げられるかにある、って言葉もあるわけですし」
「誰の言葉？」
「俺の！」
「だろうと思った……」
　言いながら渚砂は、祐に背中を押されるようにして歩きだしています。
「そもそも今日、バイクじゃないか。二人とも」
　あ、と祐は声を上げていました。
「だから渚砂さん、がっかりしてたんですか！」
「気がついてほしかった。今日は飲めないぞ」
「バイクは……押して帰るとか……」
「それはそれできついなあ！　お兄さんはノンアルコールビールにでもするか……」
　知ってたら電車で来たのに、と気落ち気味の渚砂を励ますように、祐は明るく声を上げます。
「まあまあ、それでも、楽しめることは請け合い！　充実のラインナップ、肉も野菜も超豪華って話ですし！」
　赤みがかった渚砂の茶色い髪は、いくらか不審げに外ハネしていました。
「本当に超豪華なのかー？」

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