寝子島、停電の熱帯夜｜リアクション

寝子島、停電の熱帯夜

【PM11:04　九夜山山頂付近】

　停電し、闇の絨毯を敷いたようにひっそり静まる寝子島の街をたっぷりと見届けた桜庭円と御剣刀は、再び山頂の展望台を目指した。ここまでは特別に夜間運行しているロープウェイに乗って来れたが、展望台までは自力で進まないといけない。足元を照らすのは電池式のカンテラ。換えの電池はたんまりと持ってきている。
「にゃー」
　２人の前を行くにゃーくんが鳴いた。円が明かりを向けると、地面から太い幹が浮き出し、さも登山人を転ばさんと待ち構えているかのようだ。
「ありがとね」
　幹を小さく跳び越える。カンテラだけでなく、夜目の効くにゃーくんも頼りがいのあるナビゲイターだ。
「だいぶ目が慣れてきたな……うわーすげー星の数」
　見上げる刀に円が注意する。
「よそ見して転んだりしないでね。大事な物なんだから」
「あ……ああ」
　円がこの日のために買ったという天体望遠鏡を抱えなおす刀。それにしても……まさかこんな大層な物まで用意しているとは。円から「天体観測に行こう」と連絡を受けたのは数時間前。大人しく家で寝ていようと思っていたが、たまには奇麗な夜空を見るのもいいもんだと軽い気持ちで乗っかり、合流してみて驚いた。円の装備はかなり本格的だ。

　誰かがリクエストした夜空を歌う曲が、円の持参したラジオから流れて来る。ちょうど展望台に着き、準備を始めたときだった。同じ目的の人たちが多く、そこそこ賑わいを見せている。
「まずはこれだ」
　蚊取り線香に火を着ける。これ無しでは安全な天体観測はできないだろう。
「望遠鏡の設置は桜庭に任せてっと……」
　線香の懐かしいにおいをかぎながら、刀もくつろぐためのスペースを作った。

　山頂から見あげる空。視界を遮るものは一切ない。
「すごいねー」
　にゃーくんの頭を撫でながら真っ正直な感想を漏らす円。方々からもため息がこぼれている。
「いやーこりゃ壮大だ。街の光がない夜空ってこんなに綺麗なのか」
「宇宙って広くて遠くて……でもとてもとても近くて……なんていうか、僕たちってまだまだ何も知らないよね」
「なんか小さな悩みとかどうでもよくなるよなあ。星を見ていると、嫌なことも忘れられるよ」
　とまで言ったところで刀、頭を垂れて座っているシートに目を落とす。
「うん……嫌なこと……忘……れ……」
「……追試ばっかなんだってね」
　円が優しく声をかける。
　うおおおおおおおお、と夜空に向けて叫びたい気持ちを寸で堪える刀。どうしたのーと、にゃーくんが不思議そうな顔で覗き込んでくる。
「そんな同情を含んだ目で見ないでくれ……」
　５教科赤点という冷酷無比な始まり方を告げた、刀の夏は熱く長い。考えただけで血の気が引いて寒くなる。
「よし、星空の勉強でもしようか」
　円が無理矢理話題を変えにかかる。ネットから拾ってきた天体の資料にカンテラをかざした。
「やっぱり夏といえば、さそり座や……大三角形も有名だね！　よし、三角形を見つけよう！」
　にゃーくんににぼしをあげながらいじけている刀に手招きする。
「あのひと際輝いているのがベガで……あっちがデネブかな？　そんでこれがアルタイル！　ねーにゃーくん、綺麗だねー明るいねー」
「にゃー（にぼしをはぐはぐ）」
「よし、続いて望遠鏡でも見てみよう」
　ここで円、事前に説明書を熟読しておけばよかったと後悔。なかなか調整が合わないのだ。

「……ずいぶん時間かかってるけど、大丈夫か」
「うん、もうちょい……」
　たっぷり１０分くらい時間を要して、ようやく一等星のベガを発見する。
「おーすごい……見て、こんなに星が近いよ！」
「ほう、どれどれ」
　追試のことが頭をよぎりながらも、望遠鏡を覗き込む。
「うお」
　青く燃えるような光が悠然と刀を見下ろしている。
「星って……星形じゃないのな」
「う……うん」
　補習頑張れ、と心の底から願う円だった。