【これから。】

　常闇 月は、板谷の教えの元に自ら調理にチャレンジし、完成した鯛焼きを、神無月 ひふみへと手渡す。
「お疲れさまです、ひふみ姉さん。これをどうぞ。お口に合えばいいのですが……」
「あら、ありがとう月、あなたが焼いたの？　どれどれ……」
　一息ついて、店先の椅子に腰掛けたひふみは、月の手作り鯛焼きをぱくり、もぐもぐ。
「うん、イチゴジャム味ね。美味しい！」
「本当ですか？　良かったです」
　妹のように可愛がっている月が、手ずから作った鯛焼きなのだ。これが美味しくないわけがない。月も、世話になっているひふみにこうして少し多少なりとも恩返しができて、ほっとした顔を浮かべて見せた
　噂がどっと広がって、怒涛のように客が押し寄せては鯛焼きを買い求め、去っていき……店はようやく、閉店の時を迎えた。
「はーっ、忙しかった。けど、楽しかったでー♪　おじいさん、今日はありがとなー！」
「……礼を言うのは、私のほうですよ。お嬢さんがた。坊ちゃんたち」
　西野町 かなえやひふみを始め、今日、途方に暮れる板谷のために少なからずの時間を割き、調理の手伝いや、事態の解決、収集に向けて献身的に動いてくれた、多くの人々へ。板谷は、
「このろっこんとやらの舵取りにゃ、まだまだ時間がかかりそうだが……おかげで、店を続けることはできそうだ。改めて、礼を言わせてもらいます……本当にありがとう」
　深く、心を込めて、頭を下げた。
　そんな彼に、神野 マキナはからからと朗らかに笑い、
「困ったときはお互い様ってね。これからも買いに寄らせてもらうし、うちの店に宣伝のポスターを張るとか、お手伝いだってできるよ。代わりに僕らは、これからもこうして、美味しい鯛焼きを食べられるってわけ……うーん、チェリータルト味！」
　さくりと食感も良いそれを、一仕事を終えた充足感を胸に、思う存分堪能する。
　板谷のランダム鯛焼きは、ロシアン鯛焼き、ビックリ鯛焼き、親父のおまかせ、味はヒミツのロシアンルーレット、ミステリー鯛焼きトレイン……などなど。その正式なネーミングについては様々な案が飛び出したが、熱の篭もった議論を経た末に、店を構える場所柄なども考慮した上で、こう名づけられた。
　『親父の気まぐれ鯛焼き　ロシアンルーレット風味～潮風を添えて～』、と。
　彼はしばらく、それをメインの商品としながら、自身のろっこんを完璧にコントロールするため、練習に励むということだ。
　いずれろっこんを完全に掌握することができれば、あの素晴らしい、普通の餡子味の鯛焼きを取り戻すこともできるだろう。周囲の人々には、板谷の齢７０を越えてのこの精悍な顔つきに、それも遠い日のことでは無いのだろうと感じていた。
　今は離れて行ってしまった常連客たちも、やがていつかは、彼の鯛焼きを求めて戻ってくるはずだ。
　そして、調査のために綴られた膨大なメモ、ノートに録音テープの数々は奇しくも、新味開発のための極上のデータともなっている。好意により板谷へと提供されたそれらは、きっと大きな武器となるはずだ。
　店はこれからも、繁盛していくことだろう。
　見慣れた表情を取り戻した板谷へ、ふいにひふみが、こんなことを言った。
「ねえお爺さん。弟子を取ったりはしないの？」
「弟子、ですかい？」
「ええ、将来このお店を継いでくれる人がいたら、心強いじゃない？　それにフツウの餡子と、何が出るか分からない『親父の気まぐれ鯛焼き』、二足の草鞋で頑張れば、新しいお客も増えつつ常連さんも戻ってきて、一石二鳥よ」
「そうですね。私も、ひふみ姉さんに賛成です」
　ひふみの隣でうなずく月。紅イモ羊羹味を嬉しそうに頬張りながらの岡野 丸美も、
「普通の餡子もいいし、こんな楽しい鯛焼きも、無くしちゃったらもったいないものね。両方味わえるなら、もっと幸せ！」
　確かに、今日の予期せぬ繁盛は、ランダム鯛焼きの話題性のみならず、調理を手伝った彼女らの手柄だって、もちろん大きかったのだろう。何が飛び出すか分からないのは面白いが、そればかりでは飽きられてしまう。
　何事にも、メリハリというものは必要なのだ。
「ふむ……なるほど、弟子ね。考えてみますよ。おかげでまだまだ、店を畳んで悠々自適の隠居生活、とはいかなくなっちまったんでね」
　板谷は笑った。そこには、先ほどまでの憂いに満ちた表情はさっぱりと消え去って、若者たちと朗らかに笑い合う好々爺の顔があった。

「いいんですか、こんなに？」
　御剣 刀が抱える紙袋の中には、焼きたての鯛焼きがいくつも。笑顔の板谷は最後に、手伝ってくれた全ての人々へ、お土産を持たせてくれたのだ。
「板谷氏の好意だからな、ありがたく受け取っておこう。うちの動物たちにもいい土産ができた」
　と、動物好きな八神 修も、いささかほくほく顔だ。
「こっちがランダムで、こっちがチョコ味で……はて、こっちは何味じゃったかの？」
「ちょっとだけ、蕎麦味の鯛焼きが出来たら面白そうだな……なんて。やあ、何でもありませんよ」
　首を傾げた後、まあいいか、と笑う立井 駒鳥に、ぽそりとつぶやいた薄野 五月。
　お土産の鯛焼きは、板谷のランダム鯛焼きのほか、ひふみのチョコやカスタード味に、月のフルーツジャム鯛焼き各種。その他諸々、実に様々な、見た目には見分けのつかない鯛焼きたちが一緒くたになっており、これこそがまさに、ロシアンルーレット鯛焼き。という状態である。
「親父さんの調子も良さそうだったし、そうそうキツい味は出てこないだろ。よっぽど運が悪くなければな」
　刀が言って、袋から一つ鯛焼きを取り出し、ぱくり。程よい甘さのカスタード味に、彼の顔がほころんだ。
「何味だって美味しくいただくのだ、あっ修ちゃんたっつん、真央ちゃんのと交換して欲しいのだ色んなのを食べてみたいのだ～」
　後木 真央と修、駒鳥などは、ちょっとずつ千切った鯛焼きを交換しながら、様々な味を楽しんでいる。
　鯛焼きは、鯛焼きなのである。味が変わろうと、何が飛び出そうと、それだけは結局変わらないことであり……彼らは、それを楽しむだけなのだ。
　と。
　ぱかっ、真ん中から割った鯛焼きの、頭と尻尾を両の手に持ち。それらを見比べてから、修は、友人たちへと尋ねた。
　それは今更ながらではありつつも、鯛焼きというものを語る上で、避けては通れない……まさしく、根源的な問いであった。
「ところで、皆。鯛焼きを、どこから食べる？」