カラスで腰砕け｜リアクション

カラスで腰砕け

　八神は自転車のカゴに馬刺しを放り込み、サドルにまたがると携帯を取り出した。よっこらと走り出し、駐輪場から広い駐車場を横切って歩道に出る。番号を打ち込むと、やや間があって、美咲紀が出た。
「八神さん？」
「美咲紀、そっちはどうだ？」
「はい、今厩舎の戸締りが終わったところです」
　レナと椿は無事、馬の避難を終えていた。窓の点検は済んでいる。あとは厩舎の扉を閉めれば、カラスは馬に手出しすることは出来ない。
「お客さんと二人は？」
「二人は医務室です。恵御納さんと八十八旗くんが一緒です。他のお客さんには、食堂へ行ってもらいました」
「それは良い案だね。できれば、問題が解決するまで動かないでいて欲しいんだけど」
「それは大丈夫です」
「後でまたかける」
　修からの通話が一旦切れた。
「ところで、何やってんの、奴らは？」
　美咲紀はレナの声に振り向いた。レナは時子たちの方を見ていた。
「時間が止まってますね」
　カラスと三人の人間は微動だにしていなかった。妙な空気だ。
「何か、非常に良くないことが起こりそうな気がするんだけど」
「そうですねぇ。あ、八神さんが」
「なんて？」
「管理棟で待機して欲しいと。言えば分かるって」
「あたしが？　管理棟で？　ははあ、なるほど」
「よく分からないですけど」
「いや──それじゃあ、ちょっとこの子達、見ててくれる？　あたしは用があるから」
「分かりました。気を付けて！」
「ありがと。んじゃね」
「ほら、ラファール、フラット、大丈夫だからね」
　美咲紀は、内側から厩舎の扉を施錠すると、知人の愛馬を含め、厩舎に戻った馬達に一頭ずつ声を掛けていった。馬達は住処に帰って、いくらか安心したようだ。ついでにブラッシングしてやろう。美咲紀は隅のバケツからブラシを拾い上げた。

　医務室には、独特の薬品臭さと馬臭さが同居していた。
　夏朝はすっかり泣き止んだ唯に話しかけていた。
「怖かったね」
　頷く唯。
「でも、お馬さんたちも、カラスが怖いだけなんだよ。とっても優しい生き物だからね。外敵に敏感なんだ」
　頷く唯。
「そういうタイミングで、松田さんが後ろに近づいたもんだから、怖くなって蹴っちゃったんだよ」
「元を正せば爺さんの過失ってことか！」
　信彦が適切に補足した。
「実に面目ない」
　松田が謝った。
「知ってる？　お馬さんが後ろにあるものを蹴るのはね、ライオンを怖がってるからなんだよ」
「そうなの？」
「うん。後ろから追いかけられるのが常だからね。ほっといたら食べられちゃうでしょ？」
「唯は食べないもん」
「面目ない」
　再び松田が謝った。馬刺しは、嫌いではなかった。
「だから、できればお馬さんのことは、嫌いにならないであげて欲しい」
「ん」
　唯は聞き分けよく頷いた。そしてちょっとはにかんだ後、にっこり笑っていった。
「お姉ちゃん、ありがと。大好き」
「お兄ちゃんは？」
　信彦は催促した。
「んーとね」
　唯は考えた。おじいちゃんを頑張って運んでくれた人でもあるし、すごく明るい人でもある。何故か妙にきらびやかな空気を身に纏ってもいる。総合して言うと──。
　夏朝は猫型パペットを取り出し、手にはめて何度か感触を確かめた後、信彦に向けておもむろにいった。

「顔ヲ見ルノモ大嫌イダッテサ！」

「それは曲解しすぎなんじゃね！？」
　信彦は、不当な扱いに全力で抗議した。
　唯の笑い声が医務室に響いた。どうやらお馬さんを嫌いになる事態は、無事回避されたようだ。
　信彦の携帯が鳴った。
「およ、やがみんからだ」
「そっちの戸締りはどう？」
「何？」
「戸締りはどうって。どう？」
「一度見回ったから、大丈夫だと思う」
「分かった、ありがとう」
　携帯はプツリと切れた。
　信彦は夏朝と顔を見合わせて、肩をすくめた。
　松田は、むせた。

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