たんぽぽ畑でさよならを（笑）｜リアクション

たんぽぽ畑でさよならを（笑）

◆過ぎ去りし日

　夏の暑さが続いている。
　疲れた体を引き摺って仕事から帰って来た日向透は、家から漂う料理の臭いに気付いて顔を上げた。
　怪訝に思いながら、玄関のドアノブを回す。

「おう、お帰り！　先にやってるぞ～！！」
　赤ら顔でビールジョッキを掲げてみせる父は、すでに出来上がっている。
　それでも息子の姿を見ると、立ち上がって玄関先まで両腕を広げて出迎えに行く。
　嬉しそうに、本当に嬉しそうに。
「お勤めご苦労様ァ！」
　そうして透の汗を含んだシャツにも構わず、腕を回そうとする。
　掛かる息からは、アルコールの臭気。
　お世辞にも美男子とは言えないおっさんの顔が、すぐそこまで迫ってくる。暑苦しい事、この上ない。
　透は不快感も露に舌打ちし、伸びてくる腕を軽くいなした。
「えー、ハグは？」
　お預けを食らった父は、唇を尖らせている。
「話しかけないでください、酒臭い。いい年をした息子に、そんな態度で恥ずかしくないんですか」
「全然（きっぱり）」
「うざいです」
　辛辣な言葉を浴びせると、寂しそうな父を放置してさっさとシャワールームに消える。

　汗を流してサッパリして戻ると、父は台所で火を使っていた。
「何を……しているんです？」
「ん？　何って、お前も飲むだろう？　待ってろ、パパがつまみを作ってやるからな！」

　スルーして通り過ぎるつもりだった。
　けれど父の楽しげな様子に、透の足は止まった。

　――何かおかしい、父親が料理を作ってくれた事なんて……ない

　思った瞬間、透の違和感が一気に膨れ上がり、記憶が鮮やかに蘇った。

　――そうだ。父親はいつも酒ばかり飲んで荒れていて、そして家族なんてものを大切にするような、男ではなかった

　そう、これは本当の父じゃない。
　妻に逃げられた透の父が、幼い我が子を省みる事は無かった。
　酒浸しになり、飲み過ぎて死ぬまでに、そう時間は掛からなかった。
　透は、親戚をたらい回しにされて……。
　お約束すぎる不幸に、滑稽すぎて涙が出る。

「どうした、透？　そんな顔して」
　無言で背後に立つ透に、振り返った父は不思議そうに首を傾げた。

　全てを思い出した透は、酷く冷たい笑みを浮かべて、父を見下ろしていたのだ。
「まったく、はた迷惑もいいところですね」
「……透？」
「気安く呼ばないで貰えますか。さっさと俺を解放してください、貴方の道楽に付き合う気はありません」
　言葉には、激しい憎悪が滲んでいた。
　ここでは、いい人で居る必要はないのだ。

　目を開けると、最初のたんぽぽ畑だった。
　犬のムクが、キャンキャン吼えているのが、やけに耳障りだ。

　犬は嫌いだ。
　主に対して、順応であるその姿が……。

「あの、大丈夫ですか？」
　けれども今は、声を掛けてきた少女の目がある。
　透はすぐに、よそゆきの仮面を被った。
「ありがとう、かわいい犬ですね」

　その後は、どさくさに紛れて面倒ごとに背を向けた。
　付き合ってなど、いられない。

「猫かぶりに声を掛けたら、とんだ目にあいましたね」
　透は忌々しげに吐き捨てた。