たんぽぽ畑でさよならを（笑）｜リアクション

たんぽぽ畑でさよならを（笑）

◆不機嫌な小鳥

「天吏、天吏ー！」
　居間から、父が呼ぶ声がする。
　決して良い声ではないけれど、声量だけは大きく家中に響き渡った。
　そう、それは部屋で静かに読書していた、女子中学生の大天使天吏の集中でさえ、遮断するほど。
　まだそんなに空腹でもないが、仕方ない。
　放っておくと、いつまでも煩くて、本を読むどころではなくなりそうだ。

「いま、行くわ」
　天吏はゆっくり立ち上がった。
　銀色のプラスチックを小鳥の形に抜いたしおりを、読んでいた頁に差し込むと、小鳥がくちばしに頁をくわえる格好になった。

　居間のテーブルには、所狭しと料理の皿が並んでいる。
「こんなにたくさん、作ったの……？」
　家には、父と天吏しかいないはずなのに？
　不安げに立ちすくむ天吏を、父は座るよう促す。
「ああ、知り合いの漁師から、たくさんおすそ分けして貰ったんだ！　新鮮なものは、新鮮なうちにってな」
　ニカっと満面の笑みを返す父に、天吏もようやく忘れていた息を吐き出した。
「そうだったの」
「パパ、天吏のために、腕によりをかけて作ったんだぞ！」
「ありがとう、美味しそうね」
　元気すぎる父の声は、間近で聞くと鼓膜がジンジンするが、天吏は微笑んで椅子に腰掛けた。

　かりかり、と天吏の足元がくすぐられた。
　テーブルの下に目を落とすと、ペットの座敷犬が天吏を見上げて、おねだりをしている。
「貴方のごはんは、後で用意するから」
　待ってて、と双眸を細める。

「さあ、食おうか！」
「いただきます」
　食事は和やかに始まった。
　終始、テンション高く喋る父に、天吏はこくりこくりと頷き返す。
「うまいか！？」
「ええ」
　実際は塩辛くて、味の濃い部分を避けて食べる必要があったのだが。
　嬉しそうな父の顔につられて、天吏の表情も穏やかだった。

「そりゃあ、良かった！　パパも頑張ったかいがあったってもんだ。もうママにも、負けないだろう！？」

　その瞬間、天吏の表情が凍りついた。

　――ママ？

　思い出した。
　天吏の本当の父の名は、大天使天寵（おおあまつかてんちょう）。
　年齢は４０代になるが、２０代後半にも見える若々さを備えており、植物学者として高山植物など希少価値の高い植物の保全に携わり、天吏が幼い時から世界中を飛び回っていた。

　娘の天吏に対しても、年下の学生のように接していたが、仲は良かった。
　自然や美しいものを愛する植物学者としての父を、敬愛してさえいた。

　反面、母とは……。

　天吏は無意識に片目を押さえた。

「……なに言ってるの。私に ”母” は居ない」
　箸を置いて立ち上がった天吏からは、無表情ながら静かな怒りさえ感じられる。

　そして、いつもの様に鳥以外には、感情の揺れを見せない顔を取り戻していた。
「貴方は私の父ではないわね」

「さよなら」

　目覚めた天吏は夢見る前と同じ、たんぽぽ畑にいた。
　スカートの裾を払って立ち上がった彼女は、泥酔した老爺になど振り向きもしない。

　帰るのは、一人暮らしのマンション。
「……鳥、居ないかしら」

　ほんの少しでも、お話できればこの苛立ちも安らぐのに。

このページにイラストを設定する