ある霧の向こうの｜リアクション

ある霧の向こうの

　貞広護堂は霧深い森で女性と手を繋いでいた。どんな状況か、全く分からない。
「ん？　誰だいあんた」
　こういった不思議事件の時は、必ず何か『条件』がある。慣れているというのは悲しいものだが、手を繋いだまま、護堂は隣の女性に尋ねた。
「あたしは獅子島市子。あんたは？」
　市子が答えて、問い返す。
「オッサンは貞広護堂。苗字が貞広だぞ？　獅子島さんてえのかい。なんだかまた変なのに巻き込まれたみたいだが、よろしくな」
「こっちこそ」
　護堂は市子と繋いだ手を見て、それから市子を見る。
（いやしかし、美人さんと手を繋ぎ放題とは、役得だねコリャ）
　手を繋いでいるところから始まったのなら、これもなんらかの条件だろう。離さないほうがよさそうだ。
（こんなところに女の子を置きっぱなしなんてのも、ありえねえしな）
　それにしても、と護堂は視線を手から周囲に移す。
　霧のかかった森はひっそりとしている。その中で、ぼんやりと光が見えた。
（この光を辿って、平坦な道を行けばクリアってことはねえんだろうなぁ）
　条件が「手を繋ぐこと」であるだろうこの世界。そんな単調なことで、難無く元の寝子島に戻れるとは到底思えない。
　森へ彷徨わせた視線を、今度は市子へ。
（なんかあったら……守ってやんねえとなぁ）
　だからといって、緊迫した道中なんていうのは御免である。
（うーん、会話の節々や、こちらを観察する目から見ても、市子さん頭いいんだろなぁ）
「市子さんに任しとけば安心だぁな」
　護堂はわははと笑う。頭脳労働は市子に任せたほうがよさそうだ。
「もしかしなくても考える気ねーだろ」
　その代わり、痛いのも汚いのも、護堂が引き受けよう。
　この図体は伊達ではない。護堂自身の名前も言っているではないか。『護る』と。

　また不思議な世界に引き込まれてしまったらしい。気付かれないように溜息をついて、市子は手を繋ぐ相手を見る。先程「市子さんに任しとけば安心だぁな」と言った護堂は、悠々と歩いている。
（どーやらキモは座ってんね）
「頼りにしてっから、貞」
　市子が素っ気無く言うと、「おう！」と短く返ってきた。
「じゃあこの光でも辿るか」
　市子は地面の感触に注意して、ゆっくりと光を辿ることを提案する。
　地面の感触に注意して、ゆっくりと深い霧の中を、光を頼りに歩き出す。一際霧が濃い場所は、踏めるかどうかを確認してから。
　今更だが手を繋いでいるのはこの森の決めごとのようだ。その決めごとに従って光を辿る市子と護堂を待ち受けていたのは、数々の試練……のようなものだった。大岩が突然隆起してきたり、底の無さそうな沼だったり、毒蛇が多い場所だったり……。
　大岩は市子の足元に隆起してきたので、手を離さぬよう護堂の方へ身を寄せた。引っ張るよりもその方が楽だからだ。
　沼を見たときは残念な溜息が出た。そして護堂が市子を抱えて渡ると言い出した。
「はっはっは、あんたくらいだったら抱えるのなんてワケねえよ」
　そう言われたが、丁重にお断りした。
「自分の足で歩きたいんよ」
　たとえはまっても、伏せて前に身体引っ張れば抜けることができると考えたからだ。その考えの通り、２人ともどうにか沼を渡りきる。
　そして待っていたのは毒蛇たち。流石に人為的なものを感じてきてしまう。
　最初はゆっくりと蛇を避けて歩く。もちろん、驚いて手を離したり蛇を踏んでしまったりしないように気をつけて。蛇の数が減ってきたら一気に走り抜けた。

　その先に見えたのは、石碑だった。
「光はあちこちに延びてんすね」
　呟いて、市子は石碑を観察する。
「てことは？」
「ここが森の真ん中てーワケだ」
　市子は石碑の正面に跪いた。手を離すわけにもいかないから、護堂もしゃがむ。
「神魂の影響ったって脈絡ってモンがあんだろ」
　誰か、もしくは『ナニカ』が中心になっている可能性が高い。起きた全部が象徴的で記号的、そして極端なことが気になる。森自体も気になる。
「つまり？」
「記憶とか？　わからんけど」
　市子と護堂は石碑に書かれていることを読む。
「モリノヒトココニツナギトメ……ヒカリソトニタドレバ……？」
　続きは汚れて読めなくなっていた。光を外側に辿っていけば何かがあるのだろうか。
　しかし市子には戻る気はもう無い。せめて汚れた箇所が読めないかと、石碑に触れて擦る。
「おっ？」
「光が……」
　触れてしまったせいだろうか。石碑から光が溢れて、元の世界に帰るのだと市子は察する。
　市子の予想通り、光が収まったそこは森の中ではなく、見知った寝子島の風景だった。
「あんがとさん」
（たぶん独りじゃ無理だった）
　市子は手を繋いでから初めて微笑を見せた。

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