ある霧の向こうの｜リアクション

ある霧の向こうの

　気が付くと鳳翔皐月は森の中にいた。霧のかかった森だ。さらには、神無月文貴と手を握っている。
「おい、離せよ」
　言って、皐月は手を離す。すると、突然足元に黒い穴が出現し、落ちそうになる。
　皐月は慌てて、文貴の手を握った。二度と離さないよう、ぎゅっと握り締める。
「肌寒いし不気味だな……大丈夫か皐月」
「わ、悪い。手は絶対に離さないでくれ……絶対だからな、絶対だぞ？　フリとかじゃなくて本当に絶対にマジで離すなよ？」
（穴に落ちるとか洒落にならねえからな）
　手をしっかり繋いでいるのを確認して、皐月は文貴の隣を歩く。
　誰かと手を繋ぎながら歩いたのは２年振りくらいか。前の彼氏と繋いでいた覚えがある。勿論、こんな状況ではなく、もっと平和で穏やかな時だった。
「しっかし……こうやって女とお手て繋ぐのなんざ何年ぶりだろうな」
　文貴も似たようなことを考えていたようだ。しみじみと呟く様子から、誰かと手を繋いでいたことを思い出しているのだろう。前妻のことだろうかと一瞬胸を過ぎる。同時に、何故だが心の奥がもやっとした。それが嫉妬だと気付く前に、皐月はつまずいてバランスを崩す。
「おっと、足場が悪いから気を付けろ。コケそうなら腕を掴め」
　そう言う文貴に支えられる。恥ずかしかったが皐月はしっかりと手を握った。
　当然のことだが、男性の文貴に比べて女性の皐月には体力が無い。それが露呈して、次第に足取りが重くなる。
　足手まといになりたくはなかったが、どうも身体はそれを許してはくれないようだ。
「……すまん。足手まといになってるな」
「意地張んな。どうせ誰も見てねえ」
　文貴が皐月に背広を掛ける。歩調を合わせてくれる文貴の心遣いが嬉しい。
　皐月と文貴は光の標を辿って、歩を進めた。

「っと……毒蛇エリアか」
　文貴は足を止めた。名は体を表すならぬ、体は名を表す。毒持ってます、と言いそうなほどに鮮やかな模様を帯びた蛇が、前方で群れている。
「へ、蛇は勘弁してくれよ。つうか大丈夫なのか、これ？　毒とかあるんじゃねえのか？」
　狼狽える皐月の手を、文貴はぎゅっと握った。
「安心しろ、てめえにゃ傷ひとつつけさせねえ」
　悠々と皐月に告げると、文貴は中指で眼鏡のブリッジを押し上げた。そうして、飛びかかってくる蛇どもを空いている手で片っ端から千切っては投げ、千切っては投げる。
「皐月！」
　文貴は皐月の手を引いて、背に隠し庇う。
　鋭い痛みに顔をしかめれば、皐月の心配げな表情が窺える。
「ンな顔すんな。生憎こちとら頑丈なんだ」
　ちょっとくらい咬まれたって死ぬことはないはずだ。
「心配なら直接毒を吸い出してくれ」
「分かった、私が吸い出してやる」
「……なんてな、冗談だよ」
　腕の激痛に耐えながら、文貴は皐月の手を強く握る。
「告白しといて先に死なれるとか許さねえからな」
　皐月も強く、文貴の手を握り返す。そうして毒蛇を蹴散らして、一気に駆け抜けた。
　文貴にも、皐月にも。やり残したことは沢山あるのだ。ここでこのまま終わることなどできない。終わらせもしない。
（惚れた女は最後まで守り通す。２人で元の世界に帰るんだ）
「石碑が見えてきたぜ。もう少しだ」
　文貴はグロッキーな皐月を励ます。
「ゴールしたらご褒美やる。それまでの辛抱だ」
　一歩一歩、着実に前へと足を進める。
　そうして、石碑の場所に辿り着いた。
「……よーし、いい子だ」
　文貴は皐月の頭を撫でて、２人して石碑にもたれかかる。
　肩で息をしているのはお互い様、座っているのも辛かったが、手だけは離さず握ったままでいた。
「……で、ご褒美って何だよ？」