Geheime Maske｜リアクション

Geheime Maske

　家というよりはお屋敷と言った方が良いような大きさに圧倒されながらも、小淋は通された広い客間で王輝を捕まえると、優妃の部屋を訪ねた。
「今の時間なら自室じゃなくて、ピアノ部屋にいると思うよ」
　階段を上がり、毛足の長い絨毯の敷かれた廊下を進む。目的の扉の前につくと、薄く開いたドアから中の様子を伺った。
　優妃はピアノの前に座って熱心に楽譜を見ており、こちらに気付く様子はない。驚かせてしまっては話が出来なくなると知っていた小淋が、控えめにノックする。優妃の灰色の瞳が小淋に向けられ、そっと扉を開けると中に入った。
『すいません、お邪魔してます』
　ペコリと頭を下げながら、スケッチブックに書いた言葉を見せる。優妃が大きな瞳を瞬かせながら、小さく首を傾げる。
「……どうして……？」
『御陵先輩に招待されたんです』
　何かを考え込むように視線を落とした優妃だったが、すぐに顔を上げると、小淋をジっと見つめる。
『この前作った曲なんですけど、少し手を加えて曲名もつけました。もし良ければ、また一緒に演奏しませんか？』
　鞄の中から楽譜を取り出し、近くまで行こうとして、ビクリと優妃の肩が上下した事に気付いて立ち止まる。近づいたら怯えられそうだが、まさか楽譜を投げて渡す事も出来ない。どうしようかと考えていると、優妃が椅子から降りて小淋の前に立った。躊躇いがちに細い腕が伸ばされ、そっと楽譜を取る。
「Effusive？」
『まだ未熟な腕で恥ずかしいですが……』
「思いの詰まった曲は、未熟とか、成熟とか、ないと思うの」
　灰色の瞳を真っ直ぐに向けて言い切った後、我に返ったように目を大きく見開くと楽譜で顔を隠しながら後退る。
「……偉そうな事、言って……ごめんなさい……」
　でも、良い曲だと思うから。と、消え入りそうな声で呟く優妃に、小淋は微笑むと『ありがとうございます』と新しく書いたページを見せた。

　小淋が出てくるのを待ってから、冴来はそっと部屋の中をうかがった。楽譜を真剣に見ていた優妃が顔を上げ、冴来と目が合う。数秒固まった後で、優妃は距離を取るように後ろに下がると不安気な顔で冴来を見上げた。
「私……貴女を見かけたことがあるの」
　極力柔らかな声を意識しながら、冴来はゆっくりと扉を開けた。今にも泣き出しそうな優妃に、これ以上近寄らないとアピールするように手を上げる。
「貴女は綺麗で、貴女の弾く曲も、とても綺麗……。私、貴女の弾く曲が好き。貴女のことも、きっと好きになれると思う……。だって、あんなに素敵な演奏をする人なんだもの」
　ふわりと、優しく微笑む。なるべく真摯な気持ちで、声に気持ちを乗せて、冴来は真っ直ぐに優妃を見つめた。
「貴女と話がしたい、貴女の事を、もっと知りたいって、そう思ったの」
　優妃の灰色の瞳が、冴来の視線とぶつかる。真意を伺おうとするような目はとても透き通っていて、純粋に綺麗だと思う。穢れのない、まっさらな瞳。まるで義妹の瞳を見ているような感覚に、冴来は思わず目を逸らした。
「貴女さえ良ければ、私と友達になって欲しいの……」
「私……お喋り……苦手なの。……それでも、良いなら……」
　お友達になってくれる？　そう続くはずの言葉は飲み込まれた。けれど冴来は、最後まで言わなくても分かっていた。
「ありがとう」
　本心から出た声は、自分自身でも驚くほど優しく響いた。