【菜々緒宅、来訪者続々と・１】

　菜々緒はアトリエで有名な美術展覧会『三科展』へ出品する作品の制作に当たっていた。
　カンバス一面に塗りたくる赤一色。
　それをナイフで削って下に描いた色の層を露出させていく。
　その軌跡で躍動感を生み出し、平面のカンバスに起伏を付ける作業を繰り返す。
　ふと、チャイムの連打が彼女の耳に入った。
　時計を見れば、お茶会開始まで１時間を切っている。
「いけない、準備しないと……」
　慌てて菜々緒は道具を片付け、玄関へと向かう。
　途中、大きな姿見が菜々緒の全身を映した。
　作業着から着替えるべく、彼女は鏡に映った自分を眺める。
「……今日は、手出し無用よ。お願い、大人しくしていて」
　鏡の中のナナオに声をかける彼女の顔は、まるで出陣する兵士のような凛々しいものであった。

　宇佐見とマリベルが菜々緒宅へ一番乗りした数分後、セルゲイ率いる新井、スピカ、常闇、日暮の一行も到着。
「ハッピーバスデイ、ナナオ！」
「まぁ、セルゲイさんったら！　お友達連れてくるなら言ってくれればいいのに、意地悪だわ」
　だが、菜々緒の表情は子供のように目を輝かせている。
「キミのそんな喜ぶ顔が見たかったのサ。今日は楽しもうじゃないカ」
「先輩……初めまして……。普通科、１年４組……スピカ……。誕生日、おめでとう……ございます……」
　勇気を振り絞り、セルゲイの影から出たスピカが菜々緒に挨拶を行った。
「あら、可愛い方。髪の色と瞳の色が私とそっくりだわ。妹ができたみたい」
　菜々緒がスピカの隣に並ぶと、確かに銀髪碧眼の姉妹にも見える。
「あの……これ、プレゼント……」
　何故か顔を赤く染めるスピカが何かを手渡そうとしたその時、セルゲイがそれを留めるように助言した。
「プレゼントはパーティーの佳境で渡そウ。まだ早いヨ、スピカサン」
　スピカはこの助言に従い、一旦プレゼントをしまうことにした。
　その横で家の中をキョロキョロとする日暮。
　ここに来てようやく趣旨を理解したようだ。
「へぇ……、二階建ての豪邸でどんな料理が出るかと期待してたら、君の誕生日パーティーだったんだね。えっと、はじめまして、だよね。日暮ねむると申します。よろしくね……」
「芽森 菜々緒です。初めまして、日暮さん」
　２人は自然と握手を交わす。
　そしてお互い、何かを察し顔を見つめ合う。
「……日暮さん、只者じゃありませんね。外見で判断しないで正解でした」
「……そういう君こそ。食えないなぁ」
　互いに不敵な笑みを浮かべ合う。
　２人は手の感触で『戦闘経験者』であることを互いに読み取りあったのだ。
（へぇ……相当鍛えてるネ。闘ってみたいナ）
「君とは良い友達になれそうだ」
「奇遇ですね。私も日暮さんとは気が合うと思います」
　このやりとりをじっと見守る無口な少女、常闇。
（この方……、油断しないほうがよさそうですね）
　この世の裏の世界を知る常闇にとって、目の前の白亜の娘の立ち振る舞いは常人のそれと違うことをすぐに察知した。
「常闇 月です……。お招きいただき、ありがとうございます……」
　挨拶だけはしっかりと行う。
「菜々緒さん……、ご自宅に随分と監視カメラが多いようですが……。つい昔の癖で身を潜ませてしまいました」
「あら？　常闇さんは探偵さんなのかしら？」
　菜々緒のジョークにピクリとも反応しない常闇。
　これに気まずそうに菜々緒は苦笑いを浮かべると、理由を話してくれた。
「マスコミがうるさくて……。一時はパパラッチという輩に四六時中付きまとわれていました。監視カメラを置くようになってナリを潜めてくれましたけど……」
「そうだったのですか……、苦労されているのですね」
「有名税ですよ。義父が高名だと娘は苦労します」
　彼らはひとまずリビングに案内された。
　菜々緒は絵の具の着いた普段着からパーティー用の衣装に着替える間もなく、来訪者の応対に追われることになる。

「ゆ、ゆ、幽霊は～どこーにも行けてー神出鬼没～♪　じ、じ、地獄耳～だかーら真央ちゃんも地獄耳～♪」
　某妖怪アニメのOP曲の出だしの替え歌とともに菜々緒宅の玄関前に到着するのは後木 真央。
　彼女は到着するなり、八神 修にメールを送信した。

『菜々緒ちゃんセンパイのハピバパーティ会場到着なのだ堂々潜入？してくるのだ♪』

　自称新聞部幽霊部員の後木は、彼女の独自のネットワークを駆使して菜々緒のお茶会情報を入手。
　そのままアポなしで突っ込むという無茶ぶりを行っているのだ。
　独自のネットワークぱねぇ。
　送信完了させると後木はチャイムを押し、玄関が開くのと同時にその身を滑らせ菜々緒に飛び付いた！
「菜々緒ちゃんセンパイ、ハピバなのだ突撃取材なのだ！」
　文字通り、体１つで体当たりの突撃取材を敢行する後木。
「突撃取材って、そういうことなの……！？」
　これには菜々緒も驚いて戸惑っていた。
「突撃取材（物理）なのだ招待状ないけどぜひ参加させてほしいのだ！」
　菜々緒の体によじ登りながら懇願する後木！
　その勢いに戦く菜々緒を無視して、後木は参加への情熱を熱く語りだした。
「ハピバパーティに必要なもの！　友人！　一芸！　美味しいごはん！　ハッピーメモリーあーんどボケ！　一芸と美味しいごはんはきっと武道ちゃんセンパイともっちゃんセンパイが魅せてくれるのだ、ハッピーメモリーを真央ちゃんに担当させてほしいのだみんなの笑顔をデジカメで撮って後で配りまくるのだ！　それとセンパイのボケに超期待なのだ」
「え、私のボケ……？」
「そうなのだ主催者は『ここでボケて！』と振られたら応えるのが礼儀なのだ！」
「ちょ、ちょっと待って下さい！？　参加は認めますから、離れてくれませんかっ？　あと私はボケなんて出来ませんから！」
　菜々緒が困惑し始めたその時、救いの手が後木の首根っこを掴んで菜々緒の体から引き剥がした。
「あんた、ナナ姉が嫌がってるじゃねーか」
　早瀬 誠が後木をぶら下げて叱り付けた。
「って、昔の癖でナナ姉って呼んじまったじゃねぇか」
「あら、マコちゃん。来てくれたのね」
　菜々緒が早瀬に向かって人懐っこい笑みを向けて声を掛けた。
　後木は吊り下げられたまま首を傾げる。
「菜々緒ちゃんセンパイの弟なのだ？」
「違うわ。マコちゃんは私と同じ孤児院で育ったの」
「ナナ姉、じゃなかった芽森先輩。昔の話は……」
　照れ臭いのか、早瀬は顔を赤くする。
　聞けば、菜々緒が６歳の頃に引き取られるまで一緒だったらしい。
　お互いにマコちゃん、ナナ姉と呼び合う仲だったとも語る菜々緒。
「マコちゃん、あの頃はいっつも私の後ろを付いてきてたわ。まさか寝子島で会えるなんて思ってもいなかった」
「覚えててくれたんですね、俺の事。芽森先輩が引き取られてからは一切音沙汰なしだったから。それといい加減その呼び名は恥ずかしいです」
「いいじゃない、マコちゃん」
　菜々緒はこれみよがしに破顔一笑。
「私、久々に会えて嬉しいのよ、マコちゃん。マコちゃん、もしかして私が恋しくて追い掛けてきちゃったのかしら？　そうだとしたらお姉さんは凄く嬉しいなぁ。確か、私が引き取られていく時、泣きながら『行かないでー』って言ってたわよねぇ」
「げっふっ！？」
　早瀬、昔の思い出を抉られて白目を剥き、後木をぼとりと床に落としてしまった。
「痛いのだ気を付けるのだマコちゃん！」
「お前が言うな！！」
　後木がキャーキャー言いながらリビングへ逃げていく。
　早瀬は恨めしそうに菜々緒を睨む。
　が、数秒も持たずに溜息に変わった。
「ナナ姉って、昔っからナチュラルにドＳだよな……」
「何のことかしら、マコちゃん？　弟分のくせに生意気よ？」
　そしてこの嬉しそうな笑顔である。
「……もういい、リビング行くわ、俺」
　緩慢な足取りで早瀬はリビングに向かう。
（なんだよ……、全部見抜かれてたってわけかよ……。俺がナナ姉に惚れてることも、ナナ姉が恋しくてここにやってきたことも……）
　手のひらで踊らされていたと気付いたときには遅かった。
　早瀬はさらに深い溜息を１つ吐くと、これ以降はナナ姉と呼ばないように気を付けようと自戒するのだった。