Mon seul Tresor｜リアクション

Mon seul Tresor

　夕方以降は一人で歩きたくなかった。けれど学校での用事は予想外に長引いてしまい、すでに日は落ちかけていた。葉利沢倫理子は周囲を異常なまでに警戒しながら、寮までの道を急いでいた。やっと寮が見えかけて安堵した時、背後から見知らぬ少女に声をかけられた。お人形めいた少女の、心を見透かすような金色の瞳が怖くて、倫理子は適当に誤魔化してその場を離れようとしたが、少女の小さな手に腕を掴まれる方が早かった。

　二年前に倫理子の心身を襲った理不尽な暴力は、それまで彼女が持っていた、無邪気とさえ言えるような、誰かを信じると言う心を失わせるには十分だった。あの事件は、思い出すだけでもどうにかなってしまいそうなほど暗く倫理子の心を縛り付けている。けれど事件以上に、その後で彼女に向けられた家族や友達の目が深く心に残っている。
　同情し、犯人に憤り、悲しむような瞳。けれど瞳の奥に込められた感情は、違う。どこか倫理子を責めるような、遠回しの非難。明らかに距離を置こうとするような、倫理子を避けようとしているような、拒絶の態度。
　言葉こそ、倫理子を気遣い、慰めてくれる。けれどその言葉が倫理子に向けられたものでない事はわかっていた。傷付いた友達を慰める、優しい自分を演じたいだけ。本心では、倫理子の事を遠ざけたいと思っている。
　友人も、家族も、何も信じられなかった。今まで倫理子を取り巻いていた世界は、もうどこにもない。腫れ物に触るような態度に、倫理子は耐えられなくなった。だから、彼らから逃げるために寝子島に来た。ここなら、倫理子を知る人は誰もいないから。
　もしかしたら、また新たな人間関係を築けるかもしれない。そんな淡い期待があった事は否定しない。けれど、倫理子の中で失われてしまった人を信じる心は、そんな甘い期待すらも打ちのめした。

　空気が動く気配に、倫理子は顔を上げた。いつの間にか周囲は暗くなっており、冷や汗が背中を滑る。暗がりの中に誰かが居そうで、先に進む事ができない。このまま立ち続けていても仕方がないと知りながらも、倫理子の足はすくんでしまって動かなかった。