Mon seul Tresor｜リアクション

Mon seul Tresor

　喧嘩の原因は、些細な事だった。
　どちらかが謝ればもう一方も謝り、円満に解決する、そのくらいの事だった。それにも関わらず、どちらも意地を張ってしまい、喧嘩別れになって疎遠になった。
　その彼が今日、交通事故で亡くなった。フィンレイ・ランカスターは突然の訃報に立ち尽くした。嘘だと思いたかったが、それが偽りでない事は直ぐに分かった。
　白いベッドに寝かされた彼は眠っているようで、思わず頬に触れる。まだ柔らかい頬は冷たく、指先から感じる死に手を引っ込める。
　彼は信号無視の速度違反車によって、命を奪われてしまった。奇しくも今日は彼の誕生日で、彼は生まれた日に天へと旅立ってしまった。
　事故が起きた場所はフィンレイの住む場所の近くで、彼の残された荷物の中には割れたレモンリキュールのビンが入っていた。底に僅かに残った液体は綺麗なレモンイエローで、フィンレイは自身の髪に触れた。

　目の前の景色が一瞬だけ歪み、元へと戻る。
　人影のない桜台墓地はしんと静まり返っており、すぐ横を流れる桜川だけが、初夏の空気を冷やすような凜と澄んだ水音を響かせていた。ここに彼が眠っているわけではないと分かっていながら訪れたのは、あの少女と出会うためだったのだろうか。
　フィンレイは赤い瞳を足元に落とすと、小さく息を吐いた。
　彼があの場所で事故に遭った理由など、誰も知らない。けれど、もしかしたらと言う思いはあった。彼はあの日、フィンレイに会いに来ようとして事故に遭ったのではないか……？　それを無意識に否定し、考えないようにしていたのは、自己防衛に他ならない。
　けれど、思う。
　フィンレイが彼の誕生日に、やっと顔を合わせる理由を見出して仲直りをしようとしたのと同じ様に、彼もまた、彼の誕生日に一緒に酒を飲もうという約束を果たそうとしてくれていたのではないかと。
　彼の持ち物にレモンリキュールのビンがあったのかは分からない。あったのかどうかも、今となってはどうでも良い。あったにしろなかったにしろ、彼はきっとあの日、フィンレイに会いに来ようとしていた。一緒に酒を飲もうという約束を、果たすために。
　忘れていた。喧嘩した日のように。彼の、優しさを。
　視界が滲み、胸の奥が熱くなる。フィンレイは持っていたケースを開くと、ギターを取り出して抱き締めた。その場にしゃがみ込み、唇を噛み締めて嗚咽を堪える。落ちた雫がギターを濡らし、フィンレイは乱暴に手の甲で涙を拭った。
「ごめんなさい……マナ、愛しています……！」
　貴方を、貴方の歌を、誰よりも。
　かけがえのない大切な人だった。サンダルフォンの名の通り、兄弟のような人で、恋人などではなかった。世界中の誰より、音楽と言うもので魂を繋ぎ合った、たった一人の人だった。
　初夏の風が吹く。フィンレイの美しい金髪が風に靡き、ケースに入れてあった黒いリボンがまるで慰めるかのように頬を掠めると、舞い上がった。
　誕生日に彼から貰った黒いリボンは、つける事も出来ないままずっとしまいこんでいた。けれど、黒がなければマルクトは完成しない。
「もう、逃げません。此処に、居てください」
　伸ばした指先が黒を掴み、愛しそうに撫ぜた後で髪を縛る。川岸に立ち、水面に移る自身の姿を見る。髪を縛るリボンに、こちらを見つめる目、耳元で光るピアス。全て揃った色に小さく微笑んだ時、視界の端に川面を流れてくるボロボロのぬいぐるみが映った。