Mon seul Tresor｜リアクション

Mon seul Tresor

　子供は苦手だった。特に目の前にいるような人並み外れた美少女は、どこか作り物めいていて、じっと見ていると薄ら寒くなってくる。
「昔大切だったのに、今はそうでもないもの？」
　足を止めて彼女の言葉に聞き入ったのが何故なのか、雨垂ミゾレ自身にもよく分からなかった。
「あのなぁ、おにいちゃんは今忙しいの。なぞなぞなら、お前の友達とでも……」
　言いかけた刹那、視界が歪んだ。

　目の前に広がる夜の繁華街に、ミゾレは唇を噛んだ。これは忘れもしない、新聞社を辞めさせられる少し前、ミゾレが東京に居たときの事だった。
　その日、ミゾレは特ダネのためにある有名タレントの後を追っていた。撮影スタジオから出て、ふらふらと繁華街を歩き、客引きに誘われるまま飲み屋に入る。華やかなネオンの灯るその店の事を、ミゾレはよく知っていた。一見すると普通のバーだが、烏龍茶一杯でフザけた値段を要求するぼったくりバーだった。
　ミゾレは彼の後を追いかけるようにして店に入り、のらりくらりとかわしながら何も頼まずに彼を店の隅で見ていた。流石は有名タレント、店員も彼を知っており、良いカモが来たとほくそ笑みながら褒めたり煽てたりしてどんどん酒を空けさせて行く。
　彼は十分に飲み、食べ、上機嫌で会計を頼むと、提示された金額を見て激怒した。どれだけ法外な値段を要求されたのかは分からないが、怒って当然の金額だっただろうと予想はつく。
　酒の力もあったのか、彼は怒鳴り散らしながら店長の胸倉を掴み、ミゾレは持っていたカメラでその光景を収めた。
　後日ミゾレは、その写真を元に記事を書いた。有名タレントが店内で酒を飲んで大暴れ、店長に掴みかかって暴言を吐く。そんな見出しと共に、ミゾレは事実から遠ざからない程度に内容を誇張して書いた。有名人の暴行騒ぎなら、読者も食いつくと踏んでいた。そのためには、ぼったくりバーである事実は邪魔だった。
　ミゾレは、バーの事実を書かなかった。けれど別に、普通のバーだと強調して書いたわけではない。ただ、ぼったくりの真実を隠しただけ。
　すぐさまその事は世間に知れ渡り、信頼を失ったタレントの男は少しずつ出番がなくなり、とうとうテレビから姿を消した。民衆は常に新しいものを求めており、いくら芸能人だといっても、代わりはいくらでもいる。所詮は、その程度の噂で消える運命しかなかったんだ。
　それなのに上司は、お前のやり方は間違っていると散々罵った挙句、クビを言い渡した。ミゾレは一夜にして、仕事と居場所と名前を失った。
　嘘を書いたのならともかく、ほんの少しの誇張と、邪魔だった事実を故意に書かなかっただけで、何故クビになる？　大体、調べてみればそこがどんなバーなのかは分かるはずだ。一つの記事だけを信じ、確認もしないで悪戯に騒ぎ立てたのは、馬鹿な読者達じゃないのか。どうして、ミゾレがクビにされなければならないのか。

「俺は悪くねーぞ。俺は何も悪い事はしてねー。それなのに、お前まで俺のやり方にケチつけんのか？　このクソガキめっ！」
　怒鳴りつけた先に、少女の姿はなかった。それでもイライラが納まらずに、落ちていた空き缶を蹴り飛ばす。
　どいつもこいつも、許せねぇ、許せねぇ……！　寄ってたかって偽善を振りかざして俺が悪いと言いやがって！　許せねぇ！！
「あの……」
　遠慮がちに声をかけられ、ミゾレは後ろに立っていた少女を睨みつけた。みゆきが小さく息を呑み、やや後ろを歩いていた鳴が「みゆき！？」と、驚いたように声を上げる。
「あぁ！？　何だ、お前」
「あ、あの子は……気付かせようとしていたんだと思います。あなたが、本当に失ったものを」
「お前、何言ってん……」
「北原！　大丈夫か！？」
　詰め寄るミゾレからみゆきを庇うように、修が間に立つ。
「修くん！？」
　突然表れた友人にみゆきが目を丸くし、ミゾレが「けっ」と詰まらなそうに呟くと、唾を吐いた。見知らぬ子供に変なものを見せられて、少女には良く分からない事を言われて、王子様みたいなイケメンが助けに入って、最終的にはミゾレが悪い方向で話が纏りかけている。面白くない。何でいつもいつも、悪者にならなくてはいけないのだろうか。
　舌打ちをして踵を返し、何かを踏んだ事に気づいて足元を見る。古い新聞の切り抜きに顔を顰め、そのまま歩き去ろうとした時、目に入った見出しに息を呑んだ。忘れもしないこの記事は、ミゾレが新聞社に勤め始めてから間もない頃に書いたものだった。記者と言う仕事に夢を持ち、情熱に溢れていたあの頃。遠い遠い、昔の事……。
　ミゾレは記事を拾い上げると、グシャリと握り潰し、ポケットにねじ込んだ。

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