Mon seul Tresor｜リアクション

Mon seul Tresor

　お線香のにおいに、修は目を開けた。ここがどこなのか分からずに周囲を見渡せば、黒い服を着た人々が暗い表情で歩いている。きっちりと制服を着込んだ朧が目の前を通り過ぎ、黒いスーツに身を包んだ礼二と言嗣が、真面目な顔で去って行く。普段とは違う雰囲気に声をかけそびれた修が、三人の向かった先へと歩き出す。
　目を真っ赤にしたみゆきが泣き崩れ、隣に立っていた小淋がスケッチブックにペンを走らせるが、書いている途中で泣き出してしまう。しゃがみ込んで涙するみゆきと小淋の肩をアリーセが優しく抱くが、彼女の端正な顔も悲しみに染まっていた。
「どうして……っ！」
　不意に聞こえて来た声に、修は足を止めた。聞き慣れた声は悲しみに震えており、その後に泣き声が響く。周囲を見回しても、彼女の姿は見えない。
　ここにきてはじめて、修はこの場に音がないと言う事に気付いた。周りの人は何かを喋っているはずなのに、唇が動いているだけで声は聞こえてこない。歩いている人々の革靴も無音で、風に揺れる木々ですらも無言だった。
　彼女の……七夜あおいの声しか聞こえない世界。纏わり付くようなお線香のにおいに導かれるようにして進んだ先で見た光景に、妙に納得した。何となくだが、ここがどういう場所なのかは分かっていた。
　祭壇に飾られた自分の遺影を見上げ、何とも言えない気持ちになった。泣きじゃくるあおいを五十嵐尚輝が宥め、修はそっと祭壇に近づくと棺の中を見た。エーデルワイスの白い花に彩られた自身の顔は蒼白で、そっと目を背けるとあおいの隣に立った。
　あおいの華奢な肩に触れようとして、何の感触もなく通り抜ける自身の手を見る。こんなにも泣いている彼女を慰める術を、修は持っていなかった。あおいだけではない、この会場にいる全ての人が修の死を嘆き、悲しんでいるのに、何もしてあげる事ができない。
　修は自らの死によって、大切な人達を失った。かけがえのない人達の中でも一番大切な人であるあおいの居ない世界。愛する人の居ない世界は空虚で、深い孤独だけが心の奥に沈殿していた。

　ひらりと足元に落ちた記事に、修は我に返った。見慣れた新聞部の部室に安堵し、先ほどの白昼夢を思い出す。大切な人達の悲しい顔は、見たくなかった。あんな気持ちを、友人やあおいに抱かせてはならない。生あるものにはいずれ死が訪れるという事は分かっているが、時が老いを連れてきて、受け止めるまでは生きていたい。
　修は立ち上がると、周囲を見渡した。あの少女の姿はどこにもないが、今なら彼女の言っていた言葉の意味が分かる。
　彼女は一体なんだったのだろうか。誰かがかつて大切にしていた人形だろうか。今、彼女の本体はどこにあるのだろうか。もし供養寺にあるのなら、こうはならないだろう。もう一度会って、話を聞いてみたい。彼女の想いを持ち主に伝える手伝いがしたい。しかし、どうやったら会えるだろうか？
　修は暫らく考えた後で、一縷の望みを託して虚空に語り掛けた。
「なあ、君。もう一度出て来てくれないか？　話を聞かせてほしいんだ」
　数秒の沈黙の後に聞こえて来た鈴の音に、修は振り返った。薄く開いた扉の向こうには金色の瞳の少女が立っており、右腕につけた鈴を一度だけ鳴らすと走り出した。
「あ、君！」
　修は手早く荷物を纏めると、少女の後を追いかけた。