菓子語り｜リアクション

菓子語り

　稲積柚春とウォルター・Bのエピソードを紐解くにあたって、お菓子というものの彩りは欠かせない。英国紳士の端くれ、彼もメイドのメアリが作る母国の料理や菓子は好物で、柚春も折に触れてそれらを作りご馳走したものだ。もちろん市販品のお菓子たちを素直に楽しむのもいい。パッキー、ニャリッツ、なめこの山につちのこの里。二人で味わったお菓子たちは挙げれば切りがない。
「今日はレモンドリズルケーキを作ってみたんだ。レモン好きだもんね、ワットは」
「いいねぇ、大好物だよぉ」
　メアリの直伝のレシピだ。ウォルターにとって、そして柚春にとっても外れのない一品である。
　柚春の部屋でまったりデート。幾度となく重ねてきた恋人たちの営みにこそ、菓子はそっと寄りそいあたたかな一時にしてくれる名演出家である。柚春はケーキを切り分けるとそれに合わせたレモン風味の紅茶とともにウォルターの前へ置き、自身は隣へ腰かけた。ぴたりと寄り添い、時にフォークを相手の口へと運ぶ。くすりと笑い合う。その度幸福が胸の内に七色を伴い弾けた。

　これ以上に至福の時間があろうか。
「それで、今度のお休みはどこいこうか？　旅行誌をいっぱい持ってきたんだ」
「どれどれ。国内旅行に海外旅行、いろいろあるねぇ」
「定番のハワイ。バリ島。アメリカでロサンゼルス・ロジャース観戦ツアー。ドイツの古城めぐりツアー……」
「ふむ、ロンドン＆パリ八日間かぁ。里帰りもアリかなぁ」
「あ、それもいいね！」
　次の連休には少し長めの旅行を計画している。雑誌に並ぶ心躍る見出しもバカンス感マシマシな写真たちも、どれもが期待感を煽る。なかなかこれと決められずああでもない、こうでもないと案を出し合うもなかなか決め手はなく、どれもこれもが魅力的だ。
　ケーキをすっかり平らげてしまったが物足りないので、鞄からパッキーの箱を取り出して開ける。ウォルターが「あ」と声を漏らした。
「パッキーと言えば……って？　ふふふ、ワットも思い出しちゃった？」
「まぁねぇ」
　そう言ってウォルターは柚春の頬へ唇を寄せた。ごく自然に、そっと流れるように。
　まだそんな風に二人のキスが当たり前では無かった頃、柚春にとってパッキーは特別なお菓子の一つだった。つまりパッキーゲームの思い出だ。恋の駆け引きはいつだって熱く甘く柚春を衝動へと駆り立てた。教師ウォルターの自制心をいかにして切り崩すか……なんて、今ではちょっと信じられないくらいだ。
「あの頃は若かったねぇ」
「今でも若いでしょ、ワットは」
「ははは」
　もうパッキーゲームは必要ない。ゲームは双方に思惑あって成り立つもの。今はただ笑ってもう一本を頬張り、もう一本を彼の口へ差し込んでやるだけだ。
　レモンケーキ然りパッキー然り、思い返せば二人の関係には驚く程お菓子という存在が共にあった。柚春がものづくりを好むたちであったこともあり、ブラックウッド家のメイド、メアリという偉大な先達があったればのことでもあるだろう。彼女のこしらえる菓子たちは一言で言って唯一無二であり、その手ほどきを受けた柚春の手になる菓子ならばウォルターをも魅了して当然だ。
　旅行誌をめくる手を止め、ウォルターが首を傾けたのはきっと、その一つ一つを胸裏にたどっていたからだろう。
「そういえばさぁ、前に柚春がバウムクーヘンを作ってくれたじゃない？　あれ、美味しかったなぁ。また食べたいなぁ」
「ティラミス味のね。あの時はすっごく頑張ったんだよ」
　苦心の作のバウムクーヘンばかりではない。お菓子言葉や秘密の風習も含めて工夫を重ね、彼の反応を探った。「幸せを重ねましょう」「私を天国に連れて行って」とまで暗に意味を込めたが、彼が全てに気づくことは無かったようだ。しかし伝わる想いもあったらしく、今では二人を繋ぐ大切にして重要な思い出となっている。
「また作ってみようか。それとも、他のお菓子がいい？　僕に作れるものなら、何だって作ってあげるよ！」
「ありがとう。恋人が若くて料理上手で、嬉しいねぇ。そうだなぁ、アップルパイとか、キャロットケーキとか、でもやっぱり定番のクリームティーなんかもいいなぁ」
　折に触れてウォルターは感謝を述べてくれる。しかしそれは、柚春にとっても同じく送りたい言葉だ。
「僕こそ、ありがとう。いつも美味しそうに食べてくれるから、僕も作りがいがあるし。いっぱい食べてくれるワットが好き！」
「おっとっと」
　勢いで彼へ唇を重ね、猫撫で声を上げて膝の上へ転がった。次は何を作ってあげようか。浮かぶレシピと共に柚春の幸せも止めどなく膨らんだ。

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